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2009年05月20日

海外旅行の記録③ 2002~2003年版 中編



昨日の続きです。

なんとか今週中には終わりそうです。


こういう事してると、、、

また、旅に出たくなってしまっちゃったりしてます。。。

けど、、、子連れでこういうハードな海外旅行はキツいか。。。


この後は後編ともう一つで終わりです。



(前編はココ。)



●2002/6/1~2002/6/9:⇒鄭州⇒洛陽

 久々の寝台列車(硬臥)で香港から一気に鄭州に到着。
 これまた久々の中華を食べまくる。やっぱり量が多くて安い。

 博物館、商代(ホントか?)の遺跡などを観光する。

 日韓ワールドカップが始まる。
 毎晩、食堂で中国人と一緒に観戦。

 バスで洛陽へ。
 俺は二回目だけど、前回はあまり観光していないので色々とまわる。
 “龍門石窟”“関林廟”“古墓博物館”などなど。



●2002/6/9~2002/6/19:西安⇒平遥

 バスで西安到着。
 ここは案内人役。“兵馬俑”、博物館めぐりなど。

 この後は北京まで東へ進み、、、
 北京からはひたすら西へ行く予定なんで、
 シルクロード東端の西安を目に焼き付けておく。

 寝台列車(硬臥)で小さな都市、平遥へ。
 ここは最近までただの田舎町だったんだけど、、、
 数百年前の城壁と街並みがそのまま残っていて、
 最近、観光地として注目を浴びるようになった。

 海外旅行の記録③ 2002~2003年版 中編


 昼間は街歩きと寺まわり、、、
 夜は飯と酒を買い込んでワールドカップ観戦の毎日。

 ココでの宿は古民居をホテルにリフォームした素敵な宿だった。



●2002/6/19~2002/6/26:北京⇒大同

 列車でまず太原に行き、そこでバスに乗り換え北京へ。

 海外旅行の記録③ 2002~2003年版 中編


 嫁は始めてなので、、、
 ガイドブックに載っていそうなコースで観光し食事する。
 物価が高いので観光が済んだらさっさと大同を目指す。

 大同に着き、、、駅から出ると、、、
 ありゃ、、、なんだか寂れてる。。。観光地なのになぁ。。。
 “雲岡石窟”“九龍壁”を見に行く。
 石窟はなかなか見ごたえあり。



●2002/6/26~2002/7/4:⇒呼和浩特⇒銀川

 列車(硬座)で呼和浩特に到着。ちと、硬座で疲れる。
 寺めぐりしたり、嫁がまたモンゴル族の民族衣装を買ったり。。。

 次は、まだまだ健在の寝台バスで銀川へ。
 ここは「西夏」の首都だったところ。
 西夏の皇帝は独自の文字「西夏文字」を作らせたりした。
 この西夏文字っていうのが、カッコいい。

 “西夏王陵”“賀蘭山岩画”博物館めぐりなど。

 海外旅行の記録③ 2002~2003年版 中編

 海外旅行の記録③ 2002~2003年版 中編


 ここは中国にしてはホコリ、ゴミが少なくて街がきれい。
 飯も旨い。二人ともこの街を気に入る。



●2002/7/4~2002/7/13:武威⇒張掖⇒嘉峪関

 早朝にバスで武威に向かう。
 そのバスがパンクするわ、、、クラッチが壊れて、、、
 代わりのバスが来るわで武威に着いたのは夜だった。。。

 この街からは「西域」って感じになってくる。
 ちょっと観光して6日には、張掖に出発。

 二年前に整備していた国道は最高。
 万里の長城とずっと平行している道なので嫁は感激してた。
 張掖では“黒水国漢墓(打ち捨てられている遺跡)”や寺めぐりなどを。

 次は、、シルクロード伝いに嘉峪関へ。
 この街自体は最近出来たものなんだけど、、、
 街の名前になっている“嘉峪関”は長城の一部をなしている大きな関所だった。

 “嘉峪関”自体はとても見ごたえがあるが街はつまらない。
 隣町に酒泉という活気のある街があるんで、
 宿泊はそっちにしたほうが面白い。
 俺らは選択を間違え、、、嘉峪関の街に泊まってしまった。。。



●2002/7/13~2002/7/18:敦煌

 思い出の街、敦煌にやってくる。
 二年前に俺が感激したスポットに嫁を案内する。
 嫁も感激していた。

 海外旅行の記録③ 2002~2003年版 中編


 ここでは、昼は鶏湯麺屋さん、、、
 夜は日本語が話せる店長がいる食堂に毎日通う。

 昼の鶏湯麺屋は夫婦で営業している。
 お母さんの方が麺を打つ。お父さんはウェイター。
 このお母さんが打つ麺が絶品で毎日通っていたら、、、
 麺の打ち方を教えてくれるとおっしゃる。おお。マジっすか!?
 この後、タクラマカン砂漠を一周してここに帰って来る予定なんで、
 その時に教えてもらうことにする。楽しみだ。

 夜に通った食堂は隋さんという元日本語ガイドが営業している店で、
 この隋さんが、、、本当に飲んだくれで面白い。
 午前中から夜までずっとビールを飲んでいる。
 飲兵衛同士は気が合うもので、毎晩、一緒に飲んだくれる。
 だって、ビールの大瓶が3元(約45円)、、、だしやねぇ。。。

 しかも、中国って北京時間っていうアホなモンがあって
 こんなに西に来ても、北京と時差が一緒。
 従って、、、夜9時でも、、、まだ明るかったりする。
 なので、、、街は夜更かし。。。店も夜更かし。。。
 そして、、、俺らも夜更かし。。。



●2002/7/18~2002/7/24:ハミ⇒トルファン

 楽しい敦煌に別れを告げて、ウイグル自治区に突入。
 砂漠(というか荒地)をバスが突っ切って行く。

 ハミ到着。
 この街はまだ、ウイグル族と漢民族は半々ぐらい。
 ウイグル族は青い瞳で金髪、そしてムスリム。
 でも一応、北京語もしゃべる。

 ウイグルとチベットは第二次大戦後、、、
 独立を阻止しようと中国共産党が武力制圧したところなので、
 両民族は反漢感情が非常に強い。
 んまぁ、、、政治的な話は置いときますか。。。

 ここも旧都でその名もハミ国があった所。遺跡を巡る。
 漢民族の遺跡とはちょっと違うので新鮮味がある。
 飯もウイグル料理やここらの名産品のハミ瓜を食す。
 このハミ瓜が最高に旨い。完熟メロンの味で食感が西瓜。
 果物で一番好き。日本じゃ見たことないっすけど。。。

 列車でトルファンへ。
 ここまで来ると90%はウイグル族。
 “ベゼクリク千仏洞”“高昌故城”“交河故城”などなど行きまくる。
 ついでにこの近郊に西遊記でおなじみの火焔山があるんで眺めに行く。
 うーん、火焔って感じするわ。

 ウイグルの特産品でウイグルナイフという民族刀がある。
 それが、カッコ良くて、、、買いまくってしまった。。。

 海外旅行の記録③ 2002~2003年版 中編


 嫁の民族衣装の二の舞っす。。。



●2002/7/24~2002/7/27:コルラ⇒クチャ

 バスでコルラへ出発。
 バスの中でウイグル族の少年と仲良くなり、長いバス旅も退屈しなかった。

 11時間かかりコルラ到着。
 ここを起点にしてタクラマカン砂漠を一周するんで、、、
 観光は帰ってきたときにすることにした。
 ってことで、、、翌日にすぐクチャを目指す。

 クチャまであと数10キロという地点で洪水により橋が流され通行不能。
 砂漠で洪水っていうのもヘンな気がするが、わりと起こることらしい。
 このあたりの川は山からの雪解け水が流れてきて出来たモノなんだけど、
 砂漠(荒地)は水を貯えられないんですぐ洪水になるとのこと。

 河の淵までバスで行って、無事な鉄道の橋を歩いて向こう岸まで渡る。
 そこでタクシーを拾い、、、なんとかクチャの街に着いた。

 夜の8時になっていたが、、、
 この辺は夜の10時半ぐらいまでは明るいんで焦ることなく宿も探せた。

 ここは昔、オアシス都市国家のキジル国が栄えたところなので遺跡が多い。
 観光したり、バザールで買い物したりして過ごす。



●2002/7/28~2002/8/4:⇒カシュガル⇒ホータン

 クチャからカシュガルまで、、、
 一気に行くバスが無かったのでとりあえずアクスを目指す。
 値段は高いがタクシー相乗りで行く。

 高かっただけあって3時間でアクス着。
 バスターミナルで時刻表を見てみると、、、
 今日の夜9時発カシュガル行きというバスがある。
 それで行ってしまおう。

 出発まで6時間ぐらいあるんでバスターミナル付近をブラブラする。
 屋台で飯を食っていたら、、、
 日本人を見たことが無いというウイグル人達が集まってきて囲まれる。。。
 まぁ、、、仲良くなったし、、、暇もつぶれて良かったですが。。。

 夜9時バス出発。
 ボロバスのため何回か止まったが、翌朝10時にカシュガル到着。

 タクラマカン砂漠のほぼ西端に位置し、
 ちょっと行けば、パキスタンやアフガニスタンである。

 こんだけ遠いんで、街は中国的雰囲気は一切無く、、、
 建物なんかもウイグル式?ばっかり。
 んまぁ、、、広場に毛沢東は居たけどね。。。
 時間も北京時間を標準にはしておらず、、、
 非公式なんだけどウルムチ時間(北京時間-2)を使ってる。

 バザール、旧市街、博物館、寺などを観光する。

 次はホータンへ。
 今回は良いバスにヒットし快適にホータン着。

 ウイグル自治区で一番、ウイグル人の割合が多い街。
 そして、、、美人が多くて有名な街。。。
 うぅ~~ん。確かに宿の受付のおねぇさんもすごい美人だ。

 ここでもバザール行ったり、街歩きしたり。
 バザールで名産のエトリス絹を売っているおねぇさんが、、、
 この世のものと思えない程の美人で、、、、
 つい、、、見とれてしまった。。。嫁がキレる。。。



●2002/8/5~2002/8/8:⇒チャルチャン⇒チャルクリク

 チャルチャンを目指して出発。
 このあたりから、さらに道が悪くなる。
 30時間かかりチャルチャン到着。
 ここは特になにも無いんだけど、疲れたんで二泊する。

 砂漠に一ヵ月いると、、、
 「日本って瑞々しくてなんて素敵な気候の国なんだろう。。。」
 と思ってしまう。日本人は砂漠には住めませんな。きっと。

 続いて、チャルクリクへ。
 ミニバスに乗車。道がヒドイ。。。
 道とも言えない道が洪水によって切断されていたりする。

 浅いところはそのまま進むが、、、
 深そうなところは乗客は降りて歩いて河を渡り、、、
 空になって車高が上がったバスを慎重に走らせなんとか河を渡る。

 それでも、無事にチャルクリク着。
 この近くには楼蘭遺跡がある。
 しかし、旅行許可証を取るのに莫大な金(約150万円)がかかるので、
 個人では無理だ。
 (遺跡の近くに水爆実験場があるんでうるさいという噂もある。)
 街は小さく見るところもない。
 ただ、来てみたかっただけですが、、、何か。。。



●2002/8/9~2002/8/15:⇒コルラ⇒トルファン⇒ハミ

 コルラへ戻る。
 またまたヒドイ道をバスで行く。

 疲れを癒したり、博物館に行ったりして過ごす。
 ここの博物館には楼蘭遺跡で出土したものや、、、
 ミイラも展示されているので見ごたえがあった。

 この後は敦煌へ戻る。
 昼に移動して、夜はバスターミナル付近の宿に泊まるっていうのを、、、
 トルファン、ハミと繰り返した。



●2002/8/15~2002/9/1:敦煌

 このあたりまでくれば道も良いのですんなり敦煌到着。

 久しぶりの隋さんの店で飲んだくれる。
 あぁ敦煌はホッとするなぁ。

 翌日早速、鶏湯麺屋に行きウイグル土産を渡すと、、、
 今日から麺修行を開始するとのこと。

 8:30に麺店に出勤。
 15:00~18:00まで休憩なので、隋さんの店で昼ビール。
 18:00~21:00まで麺屋勤務。
 仕事終わってから隋さんの店で一杯。
 という生活を1週間続ける。

 店が暇な時間におばちゃんが麺打ちを教えてくれる。
 俺も嫁もなんとかマスターできた。
 おばちゃん一家とも仲良くなり、田舎の中国人の生活を味わえた。
 (嫁は今でも麺打ちが出来るんで、たまに打って食べているのだ。)
 しかも、店の常連さんが日本人の弟子達(俺ら)を覚えてくれ、、、
 街に知り合いが多くなった。みんな良い人たちだ。

 修行後はビザの延長をして、敦煌のマニアックな観光地に行く。
 ゴビ砂漠の中の本当のオアシス、発掘途中の遺跡など。

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 買いまくったウイグルナイフを、、、
 他の荷物に紛れ込ませ、、、コッソリ日本へ郵送する。。。



●2002/9/2~2002/9/18:⇒ゴルムド⇒ラサ

 麺屋と隋さんの店のみんなに別れを告げ、チベットに向けて旅立つ。
 寝台バスでゴルムド到着。

 ここはチベットへの玄関。
 ラサまでの車を探す。
 以前、外国人がチベットへ入る場合は専用のパーミットが必要だったが、
 今はいるとかいらないとか色んな噂が飛んでいてよくわからない。。。

 600元/人で乗り合いタクシーが見つかる。
 高いのか安いのかよくわからないがそれ以上は値切れなかった。
 そんなもんかと思って任せる。

 っで、、、この運ちゃんたちが最悪だった。。。やる気がない。。。
 最悪な運ちゃんとチベット鉄道の工事のために、、、
 荒れ果てた国道のダブルパンチでシンドイ道のり。。。
 途中、タング峠という標高5200mの峠付近では、、、
 俺を含め数人が高山病による頭痛に悩まされる。

 42時間もかかり、、、やっとラサに着く。
 道中の疲れと標高(ラサは3650m)に慣れるため、数日はのんびり過ごす。
 嫁はチベットの雰囲気が大のお気に入りに。
 “バルコル”“ポタラ宮”“ジョカン”“ノルブリンカ”などを観光。

 各地のチベタンがラサへ巡礼に来るので、、、
 ジョカン周辺でボーっとしてるだけでも楽しい。

 海外旅行の記録③ 2002~2003年版 中編


 次はネパールを目指すんで大使館でビザを取得。

 嫁の親父さんからメールが来ていて、、、
 この旅の目的地の一つマダガスカルが、、、
 政情不安で外務省から注意喚起が出たとのこと。
 マダガスカル行きは諦めるしかないのか。

 そうなるとだいぶルートを変える必要が出てくる。
 バンコクあたりでゆっくり相談することに。

 ラサからネパールへ抜けるバス便は無い。
 しかし、、、ラサのホテルには掲示板があって、、、
 そこでツアーや車のチャーターの人数を集めたりしている。
 個人旅行者が集まって車をチャーターしようというのだ。
 その一つに参加してみる。
 俺らのほかに日本人二人が集まる。



●2002/9/18~2002/9/20:シガツェ⇒ダム

 明け方の3時にヤクホテル前に集合。
 運ちゃんが30分遅刻。でも、何とか出発。
 AM9:00頃シガツェに着く。
 
 当初は1日でダムまで行く予定だったが、ここで運ちゃんと揉める。。。
 運ちゃんが約束の金額ではダムまで行かないと言い出した。。。
 外国人をなめきったボッタクリ。まぁよくあることだけど。。。
 癪にさわったんでこの運ちゃんとはオサラバして、、、
 新たにこの街で車を探すことにした。

 シガツェはあんまり大きな街じゃないけど、、、
 宿や旅行会社は一通り揃っている。
 四人で宿にチェックインした後、旅行会社に車のチャーターの交渉に行く。

 何とか良心的な旅行会社を見つけることができ、、、
 公安でパーミットも取り直せた。ふぅ。。。
 四人とも、ビザの期限が押し迫っていたのだ。ホッと一息だ。
 みんなでシガツェを観光する。

 翌朝6:00出発。
 途中で車が故障したりしたが確実に前には進む。

 海外旅行の記録③ 2002~2003年版 中編


 ラクパラ峠で止まって記念撮影をしていると、、、

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 遊牧民たちがやってきてちょっと交流。
 ってか、、、標高5000m以上の所で生活してるんだぁ。
 なんかすげぇ。。。

 そしてネパールに近づくにつれてエベレストが見えてきた。
 おお。カッコ良いねぇ。富士山とはまた違うカッコ良さ。 

 ダムに着いたのは翌AM1:00だったが、、、
 道中が楽しかったんで満足。
 国境越えは明るくなってから。
 とりあえず、宿で仮眠する。



●2002/9/20~2002/9/30:カトマンドゥー

 カトマンドゥーまでは車のチャーターになりそうなので、、、
 そのまま四人で行動する。

 朝9時に国境へ出発。
 途中でみんなで朝飯食って出国。
 出国したはいいがネパール側のイミグレーションは10キロ先。
 乗り合いタクシーでネパール側へ。無事にネパール入国。

 ここからは、また四人でタクシーチャーター。
 昼過ぎにカトマンドゥー着。

 ふぅやっとだねぇ。
 今日はそれぞれゆっくりして、、、
 明日の夜にラサから一緒に行動してきた四人で安着宴会をすることにした。
 三日ぶりの風呂でさっぱり。

 ゆっくりダラダラし、、、
 翌日、四人で日本料理屋で乾杯。
 ここで二人とはお別れ。

 ちょっと寂しくなったねぇ、なんて嫁と言っていたら、、、
 カトマンドゥーの真ん中で偶然、、、
 以前、剣御前小屋で一緒に働いたシェルパに出会う。

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 おっお~~~っ!!
 お互いに最初は声が出ないほどビックリ。
 っで、、、再会を祝して食事へ。
 彼はノルウェーに出稼ぎに行っていた帰りで、、、
 地元の村(ナムチェ)に帰る前にカトマンドゥーをブラブラしていたとのこと。
 おお。ホントに超偶然でしたなぁ。

 翌日から街を案内してくれることに。 
 なのに、俺は高熱出してダウン。。。
 幻覚が見えるほどの高熱だった。。。三日三晩寝込む。。。
 その間はセルキ(シェルパの友達)に任して嫁を観光に連れて行ってもらう。

 海外旅行の記録③ 2002~2003年版 中編


 何とか熱が引いてから嫁に聞いてみると、、、
 タクシー代からお茶、飯代まですべてセルキが出してくれたとのこと。
 も、申し訳ないっす。。。

 カトマンドゥーを発つ数日前ぐらいには
 動けるようになったんでセルキをお礼の食事に招待する。
 明日はやっと三人で遊べると思ったら、今度は嫁がダウン。。
 俺だけ観光に連れて行ってもらう。
 迷惑ばかりかけてしまったなぁ。
 セルキ、ホントに色々とありがとう。





後編に続く。。。









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この記事へのコメント
そうでしたか、あのナイフにはこんなエピソードが
あったのでありますか、感無量でありますよ。

母親が戦中に大陸で生まれたこともあり、
大きくなったら大陸を放浪するんだと、決めていました。
「深夜特急」がダイレクトな引き金ではあるんですが。
放浪してタクラマカンかアフガニスタンに屍をさらすつもりが、
なぜか信州でぬくぬくしている背景には
長い長い物語があるので、これは沈黙いたします。

石坂浩二さんの語りで始まる、あの長大なドキュメンタリーの
その一編から届いたのが、あのナイフ。
大切にいたしますよ、どうもありがとう。
Posted by いまるぷいまるぷ at 2009年05月20日 14:22
睨下。ちわっス!!

いやぁ。そんなにたいしたモノではありませんデスよ。
机の片隅にでも仕舞っておいて頂ければ本望でございます。

けど、、、
タクラマカンかアフガニスタンに屍をさらすつもりだった睨下の元に、、、
まさに、タクラマカン砂漠で買ってきたナイフが辿り着くとは、、、
なんだか良い感じで、、、こちらこそ感無量です。。。

長い長い物語、、、
酒でも飲みながら、聞いてみたいですなぁ。

あ。ちなみに、、、
ワタクシは「深夜特急」を読んだことがないのです。
今度、読んでみまっす。
Posted by 工場長工場長 at 2009年05月20日 16:47
夫婦で一年間、放浪の旅ですか!驚きですよ~
もう世界の何処へ行っても生きて行けますね~お二人なら。

私も、若いうちに旅に出とけば良かったなぁ~
なんて後悔しております。もう遅いですよね~ハハハ。
Posted by チャイ at 2009年05月20日 17:22
チャイさん。ちわっス!!

一応、結婚する前だったんですが、、、
んまぁ、、、そのまま夫婦になった感じではあります。

タイと台湾は、、、一時期、、、
本気で移住しようと思ってました。。。はは。。。

ワタクシのバヤイ、、、
仕事を辞めたりしたんで、、、
その後、ちょっと苦労しましたが、、、
嫁のバヤイは経歴を汚すことなく、、、旅してましたよ。。。
あぁ言うのをホントの若いうちと言うんでしょうねぇ。。。

チャイさんはこれからですよ。
子供に手がかからなくなったら、、、
やりたい放題じゃないっすかぁ~~~っ!!

(注:コンパニオン系の話ではなく。。。)
Posted by 工場長工場長 at 2009年05月20日 21:44
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