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Posted by naturum at

2009年05月21日

海外旅行の記録⑤ 2003年 語学勉強編



コレで海外旅行記の転記は終わりです。

この旅行の後、私は海外には行っておりません。

息子どもが大きくなったら、また嫁と二人で行きたいと話しておりヤス。

その時にはどちらも歳食っているんで、、、

こういう旅が出来るかはわかりませんけどねぇ。


いや。長々とお付き合いありがとうございました。

明日からは山っぽいブログに戻ります。

(って、、、明日、更新するかわかりましぇんが。。。)



■期間:2003/4/7~2003/9/1

■使った金:約25万円

■行った国:中国

■その他:麗江の私塾で中国語をちょろっと勉強する。
       その後、嫁と合流し旅行。

■ルート
 香港⇒昆明⇒麗江⇒昆明⇒成都⇒マルカム⇒アバ⇒合作⇒
 夏河⇒敦煌⇒【飛行機】⇒北京






●出発前

 約一年の旅から帰国し、日本でちょっとばかり心身ともに弛緩する。
 弛緩しつつ留学先をさがす。

 留学とはいっても語学留学だし、、、
 将来、仕事に使えるようになんて全然考えていない。
 日本人と似ているようで、まったく似ていない中国人の思考回路を、
 使っている言語から覗いてみたいというのがこの留学の主目的。
 3~6ヶ月も勉強出来れば満足するだろう。

 中国の大きめな大学では外国人用の中国語学科が設置されているのだが、
 入学時期、費用など俺の条件に合うところはほとんど無い。
 入学手続きも面倒だしなぁ。。。 

 ってことで、去年麗江で貰ってきたチラシの私塾に通うことにする。
 旅行ビザで行けば良いし、費用も安い。面倒な手続きも無い。
 担当の方にメールで連絡を取ってみると、丁度、学生も少ないらしい。
 よし、ここに決めた。香港行きの航空券を買う。

 しかし、、、出発間際になって、、、
 SARSというよくわからない病気が流行り始める。
 無事に行けるだろうか。。。
 むしろ、、、飛行機はちゃんと飛ぶのか。。。



●2003/4/7~2003/4/14:香港⇒広州⇒昆明

 当初、SARSは香港、広州から始まった。
 なので、そこに行く人は激減。飛行機も欠航が相次ぐ。
 俺が予約した飛行機も欠航になり、もう一便あとの機に変更される。

 嫁、友達、家族も心配し中止をススメてくる。
 まぁ今回は留学だから一都市滞在。気をつけて行ってきますよ。
 ってな感じで、、、多少強引に出発。

 機内には乗客がほとんどいない。
 そして、スチュワーデスさんもマスク着用。俺も着用。
 香港でもマスクしつつ、6ヶ月ビザを取得。
 香港の人たちもマスク着用。

 しかし、広州に着いてみると誰もマスクをしていない。。。
 たぶん情報が流れていないんだろうな。。。怖えぇ。。。
 (この情報操作が祟って、後に中国は大変なことになるのだが。。。)

 昆明行き列車のチケットはあっさり買うことができた。
 今回は観光じゃないんですぐ出発。
 昆明も一泊しただけで麗江行きのバスに乗車。



●2003/4/14~2003/7/29:麗江

 麗江着。
 中国語教室は新市街の新築マンション。
 中国人の先生が3LDKの部屋を2部屋持っていて、
 1つは先生の住居兼教室、もう1つは学生達の寮。
 寮費が安いので俺も寮に入ることにする。

 3LDKの部屋で他の学生との共同生活が始まった。
 キッチンが付いているんで主に自炊。
 寮から歩いて5分ぐらいで大きな市場もあるので便利。
 しかも、材料費は激安だ。

 


 教室の内容は自分で好きにアレンジ可能。
 俺は週5日、1日2時間、マンツーマン形式でお願いすることにした。
 授業は1日2時間だが、マンツーマンなので、、、
 予習、復習はしっかりやらないと先に進めない。
 授業と合わせて1日12時間のお勉強になる。
 こんなに勉強をするのは久しぶりだ。

 先生は日本語も達者なので勉強以外の中国についての謎も解けていく。
 毎日、毎日ひたすら勉強。

 学生は入れ替わったりするが、だいたい3人程度。
 みんなとの仲も良好。

 ゴールデンウィークに大学が休みになったので嫁がやってきた。
 中国にいると報道されていないのでわからなかったが、
 現在、SARSは大変なことになっているらしい。
 日本から中国へは飛行機もマトモに飛んでおらず、、、
 嫁は一旦、タイに行き、チェンマイから昆明へ入ってきたそうだ。
 麗江でも観光客が減る一方だったので、やっぱりと言う感じだ。
 当事国に居るのに情報が全然入ってこない。。。
 やはり、、、この国は。。。

 ゴールデンウィークが明けて嫁は帰国。
 次は大学の夏休みの時期に来る予定。
 俺もその頃にはここでの勉強を終了させ、、、
 大学の夏休み期間、一緒に旅行して帰国することにした。

 


 また、ひたすら勉強。
 発音は何とかマスター出来た。次は文法。

 中国語がなんとなく解ってくると、、、
 中国人のモノの考え方もなんとなく解ってくる気がする。
 語学をマジメに勉強するのは初めてだけど、、、なかなか面白い。

 しかし、、、勉強も波に乗ってきたってところなのに、、、
 先生と学生との間でトラブルが発生する。。。
 関係ないのに俺も巻き込まれる。。。
 発端はくだらない事なのに穏便に解決することが出来ず。。。
 こういう時に、、、国民性の違いは露骨に出る。。。
 教室内に気まずい空気が流れ出す。。。
 人間関係もギクシャクし始める。。。

 先生も疲れてしまって教室は一時中断することになってしまった。
 ふぅ。ただ勉強したかっただけなのに面倒くさい事になったなぁ。。。

 しょうがない。。。
 9月までここで勉強するつもりだったけど、
 夏休みになり嫁が来たらさっさとココを出て、、、
 長めに旅行したあとに帰国しよう。
 その後も気まずさはあるが関係ないフリをして何とか自習をする。

 7月下旬になり、嫁がやって来た。
 ちょっと強引に勉強を収束させ旅行に出発した。
 想定外のストレスからやっと開放される。
 SARSは一応、終息したらしい。
 ちょうど良かった。



●2003/7/29~2003/8/5:昆明⇒成都

 俺と同じように、、、
 トラブルに巻き込まれた寮の仲間2人も麗江から脱出していた。
 一人とは昆明まで一緒に移動、、、
 もう一人とは昆明で会い「お疲れさん会」をする。
 いや。。。精神的に疲れましたねぇ。。。

 嫁と旅のルートについて話し合う。
 四川省のチベットエリアをまわり、、、
 その後、敦煌の友人たちに会いに行く事にする。

 列車で成都へ。
 旅に困らない程度の中国語は身に付いていた。
 成都で中国人向けのチベットエリアガイドブックを購入する。
 コレも勉強した甲斐があって読める。旅がラクだ。

 ふむ。なかなか面白そうなところがたくさんあるじゃねぇか。
 でも、あまり道が良くないらしく、事故も少なくないらしい。
 まずはマルカムを目指すことにする。



●2003/8/5~2003/8/12:マルカム⇒アバ

 いわゆるチベットというのは、、、
 チベット自治区だけを指すように思われがちだが、、、
 実は四川省の西部や青海省もチベットエリアである。
 しかも、そのあたりはパーミットが要らないんで結構、自由に旅ができる。

 バスでおっかない山道を越えてマルカムに到着。
 街並みは整備されているが、、、歩く人々はチベタンばかり。
 去年行った中央チベットとは民族衣装や家のつくりなどが微妙に違う。
 なんでもこのあたりの東チベットは、、、
 遊牧民は少なく農耕民のほうが多いとのこと。
 街歩き、寺めぐりなどをする。

 バスでアバへ。
 また、山道をグングン行くと、、、
 急に視界がひらけてきれいな高原になった。
 この街の標高は3000mを超えている。
 街自体は小さな田舎街なんだけど、でかい寺がたくさんある。
 “塞格寺”“郎依寺”“格尓寺”などを観光する。

 市内バス等がないので、、、
 寺に行くのに歩いて2時間かかる所などもあるが、
 花咲く高原を歩いて行くので気持ちが良い。
 標高が高くて息切れするけど、トレッキングでもしている気分だ。

 観光客が少なくてラサ周辺よりはノンビリ観光できる。
 この辺のほうがチベットを満喫出来るのかもしれないと思う。



●2003/8/12~2003/8/15:夏河

 アバからバスで行くこと12時間で合作に到着。
 そこからバスを乗り換え1時間ちょっとで夏河に着く。
 ここも街は小さいながら、大きな“ラプラン寺”と言うお寺がある。
 何でもチベット仏教六大寺の一つなのだそうだ。
 翌日行ってみると確かにでかい寺だった。見応えあり。
 1日じゃまわりきれなかったんで次の日もまた訪れる。

 


 この街に居るとき、、、
 今仕事で北京に来ているという■野と連絡が取れ、、、
 北京で会う約束をした。

 四川省のチベットエリアは、、、
 一通りまわれたんでこれから敦煌に行きゆっくりする。
 その後、飛行機で北京に行き■野と会い、北京から帰国。
 というルートにすることにした。



●2003/8/16~2003/8/26:⇒敦煌

 勢いで一気に敦煌まで行ってしまおうという事になり強行軍。

 AM9:00夏河発、PM14:30尖扎着。
 バスを乗り換え、PM17:30西寧着。
 続いて夜行バスに乗り、翌AM2:00張掖着。
 ちょっと休憩し、AM7:30張掖発。PM18:30敦煌着。
 ぐはぁ、、、疲れた。。。
 座りっぱなしで、、、ケツが痛てぇ。。。

 敦煌に着いて真っ先に行きつけの「隋さんの店」へ。
 2日間、マトモなものを食べていなかったんで、とりあえず飯&ビール。
 「隋さんの店」と去年修行した「鶏湯麺屋」を毎日往復。

 みんな、再会を喜んでくれた。
 10日でビールを50本以上、飲んでしまった。。。はは。。。

 それでも一応、、、観光もちょっとは。
 麗江で溜まったストレスは、ここ敦煌で完全に消化できた。



●2003/8/26~2003/9/1:北京

 初の中国国内線飛行機で北京へひとっ飛び。
 北京でいつも常宿にしている前門近くのホテルへチェックイン。

 一休みした後、■野に会いに行く。
 ■野は仕事で来ているんだけど、嫁さんも台湾から遊びに来ていた。
 半年ぶりだねぇ。夕飯を食べに行く。
 嫁の大学の友達も短期留学で北京に来ているらしく、そちらとも会う。

 ふむ。せっかく色んな友達が、、、
 偶然にも揃って北京に居るんだから何かしたいなぁ~~~。

 すると、嫁がセレブなことを言い出す。
 「みんなで満漢全席を食べに行こう!!」
 マジっすか。。。 

 調べてみると、食べさせるレストランが何件かある。
 しかも、そんなにべらぼうな値段でもない。(日本円で一万円前後。)
 ■野の嫁さんに電話をかけてもらって、一番対応が良かった所にする。
 北京ダック発祥の店“全聚徳”だった。

 当日、皆ちょっとおしゃれをして店に行く。
 特別個室に通される。おお。セレブだ。
 食べきれないぐらい出てくるのか!?
 美味いんだろうなぁ!? 
 何が出てくるのか!?
 ワクワクしながら食べ始める。

 っで、、、
 確かに美味いんだけど期待していた程ではなかった。。。
 量もたいしたことなかったし。。。 
 でもまぁ、、、満足かな。

 一応、これで、、、中国でやり残した事はない。

 帰国する。



●帰国後

 この旅行で2000年の夏から続いていた旅行三昧は終了。
 社会復帰をすることにした。

 社会復帰出来るのだろうか??
 自分でも不安だったが、なんとかなった。
 そして、、、翌年の2004年、嫁の大学卒業後に入籍した。


 ちなみに、、、中国語はもう、、、しゃべれない。。。

 半年前に先輩に連れて行ってもらったチャイナパブで判明した。。。

 まぁ、、、そんなモンだろう。。。







【付録_各国の情報】

※ほとんどが2000~2003年の古い情報です。
 しかも、私の主観が入りまくってます。
 参考程度にしておいて下さい。


★各国の交通

・中国
 鉄道はほとんど中国全土を網羅している。
 最近はチベットまで線路を延ばしやがった。 
 座席のランクには上から、軟臥、硬臥、軟座、硬座がある。値段も比例する。
 軟臥、硬臥はチケットの入手が大変だった。
 俺は新しい街に着いたら、
 その日のうちに次の目的地までのチケットを買っていた。
 街にはだいたい長距離バスターミナルが1つ以上ある。
 チケットの入手も楽。最近はバスのグレードも上がった。

・ウイグル
 カシュガルまで列車が走っているが、バスの方が便利。
 しかし、タクラマカン砂漠の南側は道も悪くバスも古い。

・チベット
 近年、ゴルムドからラサまでの線路が開通した。
 俺らが行っていた当時は闇タクシーでラサまで行くのが一番安かった。
 チベット内では長距離バスはあまり走っていない。
 長距離移動の場合は車をチャーターするのが一番早い。
 チベットに入っても、行き先によってはパーミットが必要。

・ベトナム
 南北に鉄道が走っているが、、、
 運行状況やチケット入手の大変さを考えるとバスが便利。
 国営バスはヒドイので、旅行会社やホテル運行のバスがいい。

・カンボジア
 旅行会社運行のバスっていうかワンボックスしか見かけなかった。
 プノンペン~シェムリアップ間はたまに強盗&ポルポト派が出ていた。
 プノンペン周辺、シェムリアップ周辺以外は悪路。

・タイ
 南部はマレー鉄道が走っているが、、、
 北部、南部とも快適なバス網が整備されている。
 いずれを利用しても移動は楽である。
 バンコクの旅行会社が運行しているバスには超豪華バスもあった。

・ラオス
 バスターミナルからのボロバスしか無かった気がする。
 ラオス人が乗り物に弱く、よく車内でオェオェしていた。

・ミャンマー
 鉄道が走っているが使い勝手は悪い。長距離バスはそれなりにある。
 ヤンゴンの市バスは日本から寄付されたものをそのまま使っているんで
 関東バス(俺の地元のバス)とかが走っていてビックリした。

・マレーシア
 マレー鉄道が走っているが、快適なバス網も整備されている。

・ネパール
 チベット国境からカトマンドゥーまでは車をチャーターした。
 鉄道は無かったと思う。今回の旅ではカトマンドゥーから
 出なかったので長距離バスの有無はわからない。

・台湾
 鉄道、長距離バスともに日本と同じ感覚で使える。
 台北~高雄 間には新幹線も走っている。。



★各国の食事

・中国
 屋台から高級レストランまで何でもある。
 地方色豊か。好みによるかもしれないがどこでも旨い。
 俺は四川料理、湖南料理が好きっす。
 黄河以北は小麦文化、以南は米文化。
 ビールはあんまり美味しくない。

・ウイグル
 肉料理が多い。俺は肉料理が苦手なんでつらかった。
 イスラム地域なので羊料理が主体、だが酒は普通に売っている。
 ラグメン(汁無し麺に炒め物をかけたもの)、ナンは旨かった。

・チベット
 ここも食べ慣れないヤクという牛がメイン。
 クセがあって俺は無理だった。
 その他のチベット料理もあまり日本人の口には合わないと思う。

・ベトナム
 日本で食べられるベトナム料理とあまり違わない感じがした。
 まぁ旨いほう。ホイアンで食べたシジミ粥はおいしかった。
 あと、屋台で売っているフランスパンサンドイッチも旨かった。
 ビアホイという生ビールは安くて味も良い。

・カンボジア
 材料も調理方法も普通なのだが、、、
 頭が痛くなるほど味の素が入っている。
 嫁は、ここの飯が一番イヤだったらしい。

・タイ
 辛いのが好きな人は好きになると思う。俺は大好き。
 日本で食べられるタイ料理よりは辛い。
 一品の量は少なめ。ビールも安くて旨い。甘味も豊富。

・ラオス
 北タイ料理とあまりかわらない。カオニャオ(もち米)が旨かった。
 ビール(ビアラオ)もラオス泡盛(ラオラオ)安くて旨くて言うこと無し。
 嫁がラオス風あんみつにはまっていた。

・ミャンマー
 とにかく脂っこくて味が濃い。俺は苦手。
 中国人、インド人も多いんで中華、インド料理も食べられる。
 ビールは旨い。
 バゴーの午前中から営業しているビアホールで飲んだくれた。

・マレーシア
 マレー料理、中華料理、インド料理が食べられる。
 マレー料理は辛いが旨い。その他も旨い。
 イスラム教国なんで酒類が高い。残念。。。

・ネパール
 チベット料理とインド料理を1:2で合わせた感じ。
 水牛をよく食べる。どの料理もなかなか美味しかった。
 特にダルバートという食べ放題定食はお得で旨い。
 カトマンドゥーには日本料理屋が結構あった。

・台湾
 中華料理は大陸のよりパンチがきいていない、、、
 っていうか上品な感じかな。
 俺と嫁は中華料理は大陸の方が好きかなぁ。
 しかし、夜市などでの台湾独特の料理はどれも美味。
 どの街にも普通に日本食屋があり、、、
 その店では台湾風味噌汁が飲める。美味。
 コンビニではおでんも売っている。



★各国のトイレ

・中国
 当時は最悪だった。五輪をやって変わっただろうとは思う。
 特に公衆トイレ。高級ホテル、デパート以外は覚悟がいる。
 悪臭もヒドイ。【大】をする場所でも個室じゃない所もあった。
 田舎だと仕切りすらない(要は穴が連続して開いているだけ)トイレもあった。
 俺は慣れるのに1ヵ月はかかった。
 慣れることが出来ない日本人も多かった。

・ウイグル
 最悪。漢民族エリアとかわらない。
 砂漠のバス旅ではだいたい野外トイレ。

・チベット
 最悪。路地や田舎へ行くと道端に人間のウ○コが落ちている。
 (最初は犬かなにかのだと思っていた。)

・ベトナム
 比較的きれい。JRぐらいと言えばイイか。。。

・カンボジア
 比較的きれい。JRぐらいと言えばイイか。。。

・タイ
 清潔。ウォシュレットの代わりに小型のシャワー、
 もしくは、、、桶とひしゃくが設置されている。

 ラオス
 清潔。タイと同じ感じ。

・ミャンマー
 比較的きれい。JRぐらいと言えばイイか。。。

・マレーシア
 清潔。京王線ぐらいと言えばイイか。。。

・ネパール
 比較的きれい。JRぐらいと言えばイイか。。。

・台湾
 日本とかわらない。
 使用済みトイレットペーパも便器に流せた。





  


Posted by 工場長 at 15:09Comments(6)海外旅行記

2009年05月20日

海外旅行の記録④ 2002~2003年版 後編



一年旅行、最後の記録です。


この旅行で行った国の中では、、、

ネパールにもう一度行きたいですね。

体調を崩して寝たきりだったし、、、

今は山狂いなので、、、ネパールの山々を歩いてみたいですなぁ~~~。


この後にもう半年ほど中国に行ったので、その記録を転記したら終わりです。

もうちょっとだけ、、、我慢を。。。。



(前編はココ。)

(中編はココ。)



●2002/9/30~2002/10/16:バンコク⇒ビエンチャン

 カトマンドゥーからバンコクへは飛行機。

 まぁ、、、何事もなくバンコクに到着。
 まだ、嫁も俺も体調が戻らないんで休憩。
 そして、マダガスカル行きのコトを話し合う。
 当初の予定ではここから、、、
 マダガスカル⇒南米各国⇒日本 って感じだった。
 さぁどうしようか。。。
 マダガスカルは飛ばして南米へ行くか!?
 南米もやめて新たに計画を練り直すか!? 
 嫁は強引に当初の予定で行きたいというが。。。

 よく調べてみたら、、、
 現在、マダガスカルには大統領が2人いるらしい。。。
 なんだそりゃ。。。
 けど、大変な事になっているのは確かのようだ。
 やっぱり、、、マダガスカルは無理だなぁ。。。
 そして、南米のペルーもフジモリ大統領の件で反日感情が出てきたらしい。

 なので、ここはガッツリ予定変更。
 これからラオスへ行き、、、
 タイ北部へ抜け、、、再度、バンコク戻る。
 そして、、、その後にトルコへ。 って計画にした。

 とりあえずはラオスのビザを取得。
 バンコクのカオサン通り(旅行者街)にたくさんある旅行会社で
 ビエンチャン行きのバスのチケットとセットで安く入手できた。

 すんげぇ豪華な夜行バスでバンコク出発。
 
 翌朝、国境到着。
 歩いて出入国を済まし、乗り合いトゥクトゥクでビエンチャンへ。
 首都だとは思えないほどノンビリしていて、人もあんまりいない。

 夕方になるとメコン川沿いに野外レストランが出るんで
 そこで夕日を見ながらビアラオ(ラオスビール)を飲む。
 その後は宿に戻り、昼に買っておいたラオラオ(泡盛)で晩酌。
 っていう毎日を繰り返す。

 ラサからハードな旅であったし、、、
 最近、二人とも体調を崩していたんで久しぶりにノンビリゆったりな気分。

 


 一応、観光もした。



●2002/10/16~2002/10/27:ヴァンヴィエン⇒ルアンパバーン

 バンコクで知り合った日本人に勧められた街、ヴァンヴィエンへ。

 バスで3時間ほどで到着。
 ビエンチャン以上の田舎街、、、っていうか村。
 それでも、宿や外国人相手のレストランなんかは結構ある。
 ただでさえ物価の安いラオスなのに田舎なんでさらに物価が下がり
 3千キップ(3ドル弱)で快適な宿が見つかる。

 この小さな街の売りは風光明媚な景色と洞窟めぐりトレッキング。

 


 ノンビリ風景を眺めたり、トレッキングしたりして過ごす。
 いや。ホントにラオスはホワヮ~~ンしてて良いなぁ。

 次は世界遺産の街、ルアンパバーン。

 バスにて約7時間で到着。
 ここはラオスの古都で寺がたくさんある。
 しかもちょうどお祭りの真っ最中だった。
 寺めぐりしたり、夜はお祭りの見物をしたり。

 


 ここではバスで一緒になった日本人旅行者と意気投合し、、、
 毎晩一緒に飲んだくれる。
 彼に「ミャンマーが面白くてオススメ」と聞き、、、
 トルコ行きをミャンマー行きに変更することにした。

 結局、アジアから出ない旅で終わりそうだが、、、
 まぁ、、、それはそれでしょうがないか。



●2002/10/27~2002/11/2:チェーンコーン⇒チェーンセーン ⇒メーサロン

 ルアンパバーンからものスゴイ乗り物、、、
 その名も“スピードボート”で国境の町を目指す。
 8人乗りの小型船で、ヘルメット&救命胴衣を着用させられ、、、
 アホみたいなスピードでビュンビュン川を遡って行く。
 それでも国境の街、フエイサイまで8時間かかり、疲れと船酔いでヘロヘロ。。。

 渡し舟で国境を渡り、再びタイに入国。
 疲れちゃったんで、タイ側の国境の街、チェーンコーンで一泊。
 宿の受付がオカマさんで、、、少々ビックリした。。。

 翌朝、ミニバスでチェーンセーンへ。
 ここは小さいが街中に遺跡が残っていて歩いていて面白い。
 そして、ゴールデントライアングルを見にいける。
 一応、見に行く。

 次に目指す街はメーサロン。
 バスでメーチャンまで行って、、、
 パサンまで歩きそこでソンテウ(乗り合いトラック)を拾って山道を行く。

 第二次大戦後、、、
 中国共産党との戦いに敗れた国民党軍の残党が逃げ込んで出来た街。
 日本風に例えると落ち武者の隠れ里ってな感じだろうか。(ちと違うか。。。)
 かといって暗い街ではなく山中の長閑な田舎町。
 宿がすぐ見つかりホッと一息。

 ここの売りは周辺のトレッキングとレンタバイクで行ける首長族の村、、、
 そしてちょっと中国風な街と風習。すべて楽しめた。

 


 首長族には失礼ながら、、、最初はちょっとビビってしまった。。。



●2002/11/2~2002/11/8:チェンマイ⇒スコータイ

 メーチャン、チェンライとバスを乗り継ぎチェンマイへ。

 北タイの中心地だけあってちょっとだけ都会。
 古都であり城壁の街。街歩きと日曜日の夜市を楽しむ。

 バスで広大な遺跡のある街、スコータイへ。
 広域に遺跡が広がっているため、、、
 またレンタバイクを二人乗りして観てまわる。
 遺跡群は、なかなかキレイに整備されて見ごたえたっぷり。大満足。
 泊まった宿の従業員の方々も非常に親切でタイが益々好きになる。



●2002/11/8~2002/11/17:アユタヤ⇒バンコク

 バンコクの北80キロにもう一つ遺跡で有名な街、アユタヤがある。
 ここは市内に遺跡が散らばっているのでレンタサイクルでまわる。

 嫁は2回目なので案内してもらう。
 日本でいう江戸時代、、、
 この街は国際貿易都市だったんで、かつては日本人街もあった。
 その初代の頭領が小説で読んだことがあった山田長政だったので行ってみた。
 たいしたモノもなくて、、、ちょっとガッカリ。
 けど、街に散らばっている遺跡群には大満足だった。

 約一月半ぶりにバンコクに戻る。
 次の国、ミャンマーの情報を調べる。
 聞いてはいたのだが、、、
 外国人がミャンマーに入国するには空路しかないらしい。
 旅行会社でビザとバンコク~ヤンゴン間の往復チケットを手配する。

 ビザがおりるまで暇だなぁと思っていたら、、、
 以前の職場の友達がタイに行くから案内してくれとのメールが入る。
 11/13にバンコク到着とのこと。グッドタイミングっす!!

 バンコク市内を案内したり、酒飲んだり。
 旅のアドバイスしたり、酒飲んだり。酒飲んだり。。酒飲んだり。。。



●2002/11/17~2002/11/22:ヤンゴン⇒ピィ

 サービス最悪のビーマンバングラディッシュ航空でヤンゴンへ。

 空港にて、強制両替(今は無いらしい)させられたあと、タクシーで市内へ。
 設備はあんまり良くない割に安くない宿ばっかり。まぁしょうがない。

 翌日から観光開始。シュエダゴンパゴダなど。

 


 泊まった宿の支配人が日本語ペラペラ(奥様は俺とタメ歳の日本人)なので、
 いろいろミャンマーのことを教えてもらう。
 ピィという街に眼鏡をかけた仏像があるらしい。
 面白そうなので次の目的地にする。

 バスでピィを目指す。
 約6時間半で到着。宿はすぐ見つかる。
 眼鏡仏像があるミュウェミャッマンパゴダへ行く。
 ぷぷ。。。ホントに眼鏡、、、かけてますなぁ。。。

 


 宿に帰ってくると、、、
 ちょっと日本語が話せるサイカー(チャリンコタクシー)運転手がいて、、、
 おしゃべりをする。
 その彼が明日、色々と街を案内してくれると言うのでお願いする。
 市場を案内してくれたり、彼の家へ連れて行ってくれたり。
 夕方17:00発のバスの時間まで付き合ってくれた。



●2002/11/23~2002/12/1:⇒バガン⇒マンダレー

 遺跡の街 バガンへ。

 真夜中に一度バスを乗り換え、明け方に到着。
 世界三大仏教遺跡のバガンは大小三千ものパゴダが点在している。
 レンタサイクルでまわる。

 ノンビリと観光ができるかなと思っていたけど、、、
 物売りがいちいち寄ってきてめんどくさい。。。なんか疲れた。。。

 遺跡も悪くはないんだけど、修復の仕方がすんげぇ雑で、
 他の世界三大仏教遺跡であるアンコールワットに比べるとだいぶ落ちる。

 夕食時に嫁と飲みながら語っていると、、、
 二人ともなんだか急に日本が恋しくなってしまった。。。
 まぁねぇ、、、もう日本を出てから9ヶ月だもんねぇ。。。
 天気も悪く、2日程、本を読んだりしてダラダラする。

 バスでマンダレーへ。
 相変わらず道が悪い。9時間で到着。
 ピィのサイカー運転手に教えてもらった宿にチェックイン。良い宿。

 ここは旧王朝時代に首都だったところで王宮も残っている。
 市内、郊外のパゴダを見てまわる。

 しっかし暑い。。。
 俺も嫁も歩きメインの観光をしたい方なので、、、少々バテる。。。
 そして、俺はミャンマーの食事があんまり合わない。。。
 ビールは旨いんだけどなぁ。。。
 嫁は嫌いじゃないらしいが。。。



●2002/12/1~2002/12/9:カロー⇒ニャウンシュエ

 早朝発のバスでカローに向かう。

 小さな田舎街。
 だけど、標高が上がり涼しく、空気が澄んでいるので気持ちが良い。
 ここでも良い宿が見つかりホッと一息。
 街に観光をするところも何箇所かあるが、ここのメインはトレッキング。
 宿専属のガイドさんに案内を頼んで出発。

 主に少数民族の村めぐり。
 このガイドさんがホントに良い方で楽しかった。
 観光シーズンではない時期だったので暇らしく、、、
 翌日も市内観光やバスのチケットを買いに行くのにも付き合ってくれた。

 ミニバスでインレー湖のほとりの街、ニャウンシュエへ。
 この湖には水上生活をしているインダー族という少数民族がいる。
 宿もすぐ決まり、翌日のインレー湖ツアーを申し込む。

 翌朝7:00ツアー出発。
 湖のあちこちに浮島を作り、その上に家を建てて住んでらっしゃる。

 


 浮島とはいうものの、、、
 普通の街のように商店、レストラン、学校、寺院などが揃っている。
 移動はトーゼン船だが。
 主に漁で生計を立てているらしいが、浮島には畑もある。
 なかなか面白いツアーだった。

 その後はパゴダをまわったり、レンタサイクルで近郊の街に行ったり。

 


 市場で納豆が売っていてビックリした。



●2002/12/10~2002/12/15:⇒バゴー⇒ヤンゴン

 バスで18時間かけバゴーへ。
 もうちょっとでヤンゴンなんだけど、この街は古都なので寄ってみることにする。
 あんまり良い宿が無かったが二泊だけなので我慢する。

 この街はとにかくうるさい。夜も。
 寝不足気味でパゴダ巡りをする。
 もう慣れてきてたけど、ホントにミャンマーの寺&仏像は派手。
 日本人が好きな、古い寂れた趣きみたいなのは一切無い。
 古い寺でも下手な修復して塗りたくってるし、、、
 仏像なんかはビジュアル系バンドもしくは鈴木その子バリの美白。
 うぅ~ん。。。なんだかよくわからん。。。
 あんまり好きな街じゃないけど、ココにあるビアホールは最高だった。

 三週間ぶりにヤンゴンに戻る。
 前回泊まった宿へ。支配人夫婦と久しぶりにおしゃべり。
 このご夫婦とは妙に気が合っていまだにお付き合いがございます。
 ココの観光はしちゃったんで、タイに出発する日まではノンビリする。



●2002/12/15~2003/1/4:バンコク⇒チャン島

 バンコクに戻ってくる。
 そろそろ、クリスマス、正月と旅行者が増えてくる時期になってきた。
 そんな時期はあらゆる場所が混んでいるんで、、、
 なるべく動き回らないほうが身のためだ。

 正月明けまでどっか静かなところで身を潜めていることにした。
 旅行会社で聞いてみるとホントに何にもない、、、
 チャン島という小島がカンボジアの近くにあるらしい。そこにする。
 暇だろうと予想して、、、
 カオサン通りの古本屋で日本の小説をたくさん買い込んで出発する。

 バンコクからバスで8時間+フェリーで40分でチャン島に到着。
 ビーチまですぐのバンガロー式の宿に落ち着く。

 ホントに何もない。海しかない。
 近くの商店に行くのにレンタバイクを借りなければならない。
 朝昼晩を宿のレストランでとり、、、
 海に浸かったり、本を読んだりして過ごす。

 夜も部屋で晩酌するんだけど、、、
 暇なのと静かなので9時頃には眠くなって寝てしまう。。。



●2003/1/4~2003/1/6:バンコク⇒スンガイコーロク

 日本と同じで正月三日が過ぎると街も普段通りになる。

 さぁ旅再開だ。
 前回の旅で出会った親友の■野から、、、
 台湾人と結婚するから1/27までに台湾の高雄に来てくれとのメールが入る。

 これで帰国までのルートが決まった。
 これからマレーシアに行きバンコクに戻り、台湾に寄りつつ帰国。
 ちょうど良かったな。

 チャン島からバスでバンコクに戻り、その日のうちに、、、
 マレーシアとの国境付近の街、スンガイコーロクへの夜行バスに飛び乗る。
 やっぱりこのぐらい動いているほうが性に合う。

 バスを2回乗り換え翌PM4:00にスンガイコーロク着。
 せっかくなんで一泊することにした。
 宿を決め、街歩きをすると街にはムスリムがいっぱい。モスクもある。
 国境の街ってなんだかワクワクする。



●2003/1/6~2003/1/15:コタバル⇒クアラルンプール

 宿から15分も歩くと国境に着く。
 出入国手続きを済ませマレーシアへ。
 そこから路線バスに乗って1時間ほどでコタバルに到着。

 太平洋戦争の開戦時、ここの浜に日本軍が上陸したらしい。
 街の印象はマレー色&イスラム色豊かな都会って感じ。
 普通にマックやケンタッキー、大型スーパーなどが軒を連ねる。

 この街でマレー料理に惚れる。
 というかマレーシアってマレー料理以外でも何を食べても安くて旨い。
 これでビールが安ければ文句無しなんだけど、、、
 国教がイスラム教なんでアルコール類はちと高い。。。残念。。。
 マレーシアでは節酒することにした。
 ここでは街歩きを楽しむ。

 快適なバス&きれいな道でクアラルンプールを目指す。

 約9時間で到着。
 東京バリの大都会。何とか安宿を発見し落ち着く。
 ヒンドゥー教の聖地“バトゥーケーブ”を観光したり、、、

 


 博物館めぐりしたりして過ごす。

 バンコクへの帰路はマレー鉄道で行くことにしたのでチケット購入。
 バンコクへ直行する列車は無いらしくハートヤイで乗り換えが必要。
 久々の列車旅にウキウキする。



●2003/1/15~2003/1/26:⇒バンコク⇒台中

 寝台列車で夜7:30クアラルンプール発。
 翌AM9:30国境。出入国手続きを済ませ約20分でハートヤイ着。

 すぐチケット売り場に行ったら、、、
 その日の夜のバンコク行き乗車券を買うことが出来た。
 夕方、再び寝台列車に乗車。

 翌AM11:30バンコク到着。
 この旅で拠点にしてきたバンコクとも、この数日でお別れ。
 そう思うと、、、嫁は買っておきたいものがあるらしく、、、
 三日連続で買い物に付き合わされる。。。
 人の買い物を付き合うのってのは、、、ワタクシは大の苦手。。。
 特にうちの嫁は買い物が長ぁ~~~い。。。
 その代わり、毎晩ビール飲み放題。
 まぁ、、、マレーシアでは節酒したしやね。。。

 飛行機で台北に到着。
 一ヶ月は居る予定なので空港でビザ取得。
 台北は帰国直前に観光する予定なので今日は通過。

 空港発のバスに乗り台中へ。
 街並みは日本の地方都市みたい。なんだかホッとする。
 宿を取り、とりあえず■野へ安着連絡の電話。

 俺:久しぶり。今、台中なんだけど。2,3日ここを観光してから高雄に行くよ。

 ■野:ダメダメ。明日来て。明後日、籍を入れるんだけど二人には
     婚姻届の保証人になってもらうから。二人の印鑑は作っといたよ。

 え”!? そーだったのか。。。
 そんな重要な任務が俺らにあったとは。。。
 先に言えや。。。
 明日の昼には高雄に行くと約束して電話を切る。。。

 セブンイレブンに入ってみるとおにぎりだとか寿司弁当とかがある。
 久しぶりにそんな物を見てしまうと食べたくなり、夕食はコンビニ飯。



●2003/1/26~2003/2/12:高雄⇒台東

 バスで高雄へ。
 下車したところへ■野夫婦が車で迎えに来てくれた。
 春節(旧正月)が終わるまでは泊まっていけと言うんでお言葉に甘える。

 ■野の嫁さんはバツイチ子持ちの姉さん女房。そして、えらい美人。
 この一年でこんなことになっているとは全然知らなかった。
 良かったねぇ。

 翌日、二人の婚姻届に俺らも署名し役所に出しにいく。
 役所ではサービス?で簡単な式を挙げてくれる。
 いや。めでたいっす!!

 この年の春節は2/1。街が落ち着いた2/10まで居候させてもらった。
 その間、色々な所に連れて行ってもらった。ホントにありがとう。
 彼らの趣味である台湾茶器コレクションに影響され俺らも購入した。

 ■野夫婦に別れを告げ、列車で台東へ。
 友達の家では毎晩ダラダラと夜更かしをしていたんで、、、
 生活リズムを、、、がんばって早寝早起きに戻す。
 台東は特に何かあるところではないのでブラブラと街歩きをしただけ。



●2003/2/12~2003/2/15:花蓮

 長距離路線バスで花蓮を目指す。
 同じバスに乗っていた台湾人のおじいさんに、、、
 停車休憩のとき、、、日本語で話しかけられる。

 「日本語、上手いですね。」と言ったら、、、
 『まぁ。昔、日本人だったからねぇ』とあっさり返されてしまった。
 へぇ。そういう認識なのか。

 途中でそのおじいさんのお知り合いが乗ってきた。
 同じ歳ぐらい。二人は仲良く話している。
 『あそこの奥さんの調子がねぇ、、、、』
 などと、、、聞こえてくる。
 んっ!? ってか、、、日本語で話してるぞ。

 お知り合いはすぐに降りたんでおじいさんに色々と質問してみた。
 今のお知り合いは原住民(少数民族)の方で、、、
 日本統治時代に学校で一緒に日本語を習っていたとのこと。
 お互いのローカル言語(台湾語と少数民族語)は解からないから、、、
 お二人の中の共通語は日本語なのだそうだ。

 おじいさんと色々お話をしていたら、、、
 あっという間に花蓮到着。宿はすぐにみつかる。
 ここも日本の地方都市みたいな風情。

 宿の近くには、、、
 やはり日本語ペラペラのおばあちゃんがやってる食堂があって、
 海苔巻きやら味噌汁やらの日本の家庭料理が食べられる。毎日通う。
 寺に行ったり、名産の木の化石で作った急須を買いに行ったりする。
 この街は大好きだ。



●2003/2/15~2003/2/22:台北

 列車で台北へ。
 行きは素通りしたので、、、
 大都会ぶりにあらためてビックリする。

 少々手間取るも、安宿を発見できた。
 ここのオーナーのおばあちゃんも日本語がペラペラ。
 ふむ。だんだん外国に居るって気がしなくなってきたぞ。

 この旅最後の都市なので観光をガッツリ。
 “故宮博物院”“中山紀念堂”“龍山寺”“鶯歌”“淡水”“基隆”などなど。

 そして、嫁は買い物三昧。
 俺もハマってしまった茶器を買う。
 台湾には大満足。ここを最後の国にして良かった。

 けど、、、いい加減に日本が恋しい。
 久しぶりの日本にもウキウキだ。
 納豆が食いてぇ。。。



●帰国後

 飛行機で無事に成田に到着。
 嫁の家族がお出迎え。俺も送ってもらう。
 この旅でかかったお金は総額で、俺:約77万円、嫁:約82万円 だった。
 大きなトラブルもなく、まぁ、効率良く旅行できたと思う。

 その後、嫁は大学に復学。
 俺はちょっと日本でノンビリした後、中国に短期留学することにした。
 もうそんなに金が残っていないのでお安く勉強できるところを探してみる。



  


Posted by 工場長 at 22:55Comments(6)海外旅行記

2009年05月20日

海外旅行の記録③ 2002~2003年版 中編



昨日の続きです。

なんとか今週中には終わりそうです。


こういう事してると、、、

また、旅に出たくなってしまっちゃったりしてます。。。

けど、、、子連れでこういうハードな海外旅行はキツいか。。。


この後は後編ともう一つで終わりです。



(前編はココ。)



●2002/6/1~2002/6/9:⇒鄭州⇒洛陽

 久々の寝台列車(硬臥)で香港から一気に鄭州に到着。
 これまた久々の中華を食べまくる。やっぱり量が多くて安い。

 博物館、商代(ホントか?)の遺跡などを観光する。

 日韓ワールドカップが始まる。
 毎晩、食堂で中国人と一緒に観戦。

 バスで洛陽へ。
 俺は二回目だけど、前回はあまり観光していないので色々とまわる。
 “龍門石窟”“関林廟”“古墓博物館”などなど。



●2002/6/9~2002/6/19:西安⇒平遥

 バスで西安到着。
 ここは案内人役。“兵馬俑”、博物館めぐりなど。

 この後は北京まで東へ進み、、、
 北京からはひたすら西へ行く予定なんで、
 シルクロード東端の西安を目に焼き付けておく。

 寝台列車(硬臥)で小さな都市、平遥へ。
 ここは最近までただの田舎町だったんだけど、、、
 数百年前の城壁と街並みがそのまま残っていて、
 最近、観光地として注目を浴びるようになった。

 


 昼間は街歩きと寺まわり、、、
 夜は飯と酒を買い込んでワールドカップ観戦の毎日。

 ココでの宿は古民居をホテルにリフォームした素敵な宿だった。



●2002/6/19~2002/6/26:北京⇒大同

 列車でまず太原に行き、そこでバスに乗り換え北京へ。

 


 嫁は始めてなので、、、
 ガイドブックに載っていそうなコースで観光し食事する。
 物価が高いので観光が済んだらさっさと大同を目指す。

 大同に着き、、、駅から出ると、、、
 ありゃ、、、なんだか寂れてる。。。観光地なのになぁ。。。
 “雲岡石窟”“九龍壁”を見に行く。
 石窟はなかなか見ごたえあり。



●2002/6/26~2002/7/4:⇒呼和浩特⇒銀川

 列車(硬座)で呼和浩特に到着。ちと、硬座で疲れる。
 寺めぐりしたり、嫁がまたモンゴル族の民族衣装を買ったり。。。

 次は、まだまだ健在の寝台バスで銀川へ。
 ここは「西夏」の首都だったところ。
 西夏の皇帝は独自の文字「西夏文字」を作らせたりした。
 この西夏文字っていうのが、カッコいい。

 “西夏王陵”“賀蘭山岩画”博物館めぐりなど。

 

 


 ここは中国にしてはホコリ、ゴミが少なくて街がきれい。
 飯も旨い。二人ともこの街を気に入る。



●2002/7/4~2002/7/13:武威⇒張掖⇒嘉峪関

 早朝にバスで武威に向かう。
 そのバスがパンクするわ、、、クラッチが壊れて、、、
 代わりのバスが来るわで武威に着いたのは夜だった。。。

 この街からは「西域」って感じになってくる。
 ちょっと観光して6日には、張掖に出発。

 二年前に整備していた国道は最高。
 万里の長城とずっと平行している道なので嫁は感激してた。
 張掖では“黒水国漢墓(打ち捨てられている遺跡)”や寺めぐりなどを。

 次は、、シルクロード伝いに嘉峪関へ。
 この街自体は最近出来たものなんだけど、、、
 街の名前になっている“嘉峪関”は長城の一部をなしている大きな関所だった。

 “嘉峪関”自体はとても見ごたえがあるが街はつまらない。
 隣町に酒泉という活気のある街があるんで、
 宿泊はそっちにしたほうが面白い。
 俺らは選択を間違え、、、嘉峪関の街に泊まってしまった。。。



●2002/7/13~2002/7/18:敦煌

 思い出の街、敦煌にやってくる。
 二年前に俺が感激したスポットに嫁を案内する。
 嫁も感激していた。

 


 ここでは、昼は鶏湯麺屋さん、、、
 夜は日本語が話せる店長がいる食堂に毎日通う。

 昼の鶏湯麺屋は夫婦で営業している。
 お母さんの方が麺を打つ。お父さんはウェイター。
 このお母さんが打つ麺が絶品で毎日通っていたら、、、
 麺の打ち方を教えてくれるとおっしゃる。おお。マジっすか!?
 この後、タクラマカン砂漠を一周してここに帰って来る予定なんで、
 その時に教えてもらうことにする。楽しみだ。

 夜に通った食堂は隋さんという元日本語ガイドが営業している店で、
 この隋さんが、、、本当に飲んだくれで面白い。
 午前中から夜までずっとビールを飲んでいる。
 飲兵衛同士は気が合うもので、毎晩、一緒に飲んだくれる。
 だって、ビールの大瓶が3元(約45円)、、、だしやねぇ。。。

 しかも、中国って北京時間っていうアホなモンがあって
 こんなに西に来ても、北京と時差が一緒。
 従って、、、夜9時でも、、、まだ明るかったりする。
 なので、、、街は夜更かし。。。店も夜更かし。。。
 そして、、、俺らも夜更かし。。。



●2002/7/18~2002/7/24:ハミ⇒トルファン

 楽しい敦煌に別れを告げて、ウイグル自治区に突入。
 砂漠(というか荒地)をバスが突っ切って行く。

 ハミ到着。
 この街はまだ、ウイグル族と漢民族は半々ぐらい。
 ウイグル族は青い瞳で金髪、そしてムスリム。
 でも一応、北京語もしゃべる。

 ウイグルとチベットは第二次大戦後、、、
 独立を阻止しようと中国共産党が武力制圧したところなので、
 両民族は反漢感情が非常に強い。
 んまぁ、、、政治的な話は置いときますか。。。

 ここも旧都でその名もハミ国があった所。遺跡を巡る。
 漢民族の遺跡とはちょっと違うので新鮮味がある。
 飯もウイグル料理やここらの名産品のハミ瓜を食す。
 このハミ瓜が最高に旨い。完熟メロンの味で食感が西瓜。
 果物で一番好き。日本じゃ見たことないっすけど。。。

 列車でトルファンへ。
 ここまで来ると90%はウイグル族。
 “ベゼクリク千仏洞”“高昌故城”“交河故城”などなど行きまくる。
 ついでにこの近郊に西遊記でおなじみの火焔山があるんで眺めに行く。
 うーん、火焔って感じするわ。

 ウイグルの特産品でウイグルナイフという民族刀がある。
 それが、カッコ良くて、、、買いまくってしまった。。。

 


 嫁の民族衣装の二の舞っす。。。



●2002/7/24~2002/7/27:コルラ⇒クチャ

 バスでコルラへ出発。
 バスの中でウイグル族の少年と仲良くなり、長いバス旅も退屈しなかった。

 11時間かかりコルラ到着。
 ここを起点にしてタクラマカン砂漠を一周するんで、、、
 観光は帰ってきたときにすることにした。
 ってことで、、、翌日にすぐクチャを目指す。

 クチャまであと数10キロという地点で洪水により橋が流され通行不能。
 砂漠で洪水っていうのもヘンな気がするが、わりと起こることらしい。
 このあたりの川は山からの雪解け水が流れてきて出来たモノなんだけど、
 砂漠(荒地)は水を貯えられないんですぐ洪水になるとのこと。

 河の淵までバスで行って、無事な鉄道の橋を歩いて向こう岸まで渡る。
 そこでタクシーを拾い、、、なんとかクチャの街に着いた。

 夜の8時になっていたが、、、
 この辺は夜の10時半ぐらいまでは明るいんで焦ることなく宿も探せた。

 ここは昔、オアシス都市国家のキジル国が栄えたところなので遺跡が多い。
 観光したり、バザールで買い物したりして過ごす。



●2002/7/28~2002/8/4:⇒カシュガル⇒ホータン

 クチャからカシュガルまで、、、
 一気に行くバスが無かったのでとりあえずアクスを目指す。
 値段は高いがタクシー相乗りで行く。

 高かっただけあって3時間でアクス着。
 バスターミナルで時刻表を見てみると、、、
 今日の夜9時発カシュガル行きというバスがある。
 それで行ってしまおう。

 出発まで6時間ぐらいあるんでバスターミナル付近をブラブラする。
 屋台で飯を食っていたら、、、
 日本人を見たことが無いというウイグル人達が集まってきて囲まれる。。。
 まぁ、、、仲良くなったし、、、暇もつぶれて良かったですが。。。

 夜9時バス出発。
 ボロバスのため何回か止まったが、翌朝10時にカシュガル到着。

 タクラマカン砂漠のほぼ西端に位置し、
 ちょっと行けば、パキスタンやアフガニスタンである。

 こんだけ遠いんで、街は中国的雰囲気は一切無く、、、
 建物なんかもウイグル式?ばっかり。
 んまぁ、、、広場に毛沢東は居たけどね。。。
 時間も北京時間を標準にはしておらず、、、
 非公式なんだけどウルムチ時間(北京時間-2)を使ってる。

 バザール、旧市街、博物館、寺などを観光する。

 次はホータンへ。
 今回は良いバスにヒットし快適にホータン着。

 ウイグル自治区で一番、ウイグル人の割合が多い街。
 そして、、、美人が多くて有名な街。。。
 うぅ~~ん。確かに宿の受付のおねぇさんもすごい美人だ。

 ここでもバザール行ったり、街歩きしたり。
 バザールで名産のエトリス絹を売っているおねぇさんが、、、
 この世のものと思えない程の美人で、、、、
 つい、、、見とれてしまった。。。嫁がキレる。。。



●2002/8/5~2002/8/8:⇒チャルチャン⇒チャルクリク

 チャルチャンを目指して出発。
 このあたりから、さらに道が悪くなる。
 30時間かかりチャルチャン到着。
 ここは特になにも無いんだけど、疲れたんで二泊する。

 砂漠に一ヵ月いると、、、
 「日本って瑞々しくてなんて素敵な気候の国なんだろう。。。」
 と思ってしまう。日本人は砂漠には住めませんな。きっと。

 続いて、チャルクリクへ。
 ミニバスに乗車。道がヒドイ。。。
 道とも言えない道が洪水によって切断されていたりする。

 浅いところはそのまま進むが、、、
 深そうなところは乗客は降りて歩いて河を渡り、、、
 空になって車高が上がったバスを慎重に走らせなんとか河を渡る。

 それでも、無事にチャルクリク着。
 この近くには楼蘭遺跡がある。
 しかし、旅行許可証を取るのに莫大な金(約150万円)がかかるので、
 個人では無理だ。
 (遺跡の近くに水爆実験場があるんでうるさいという噂もある。)
 街は小さく見るところもない。
 ただ、来てみたかっただけですが、、、何か。。。



●2002/8/9~2002/8/15:⇒コルラ⇒トルファン⇒ハミ

 コルラへ戻る。
 またまたヒドイ道をバスで行く。

 疲れを癒したり、博物館に行ったりして過ごす。
 ここの博物館には楼蘭遺跡で出土したものや、、、
 ミイラも展示されているので見ごたえがあった。

 この後は敦煌へ戻る。
 昼に移動して、夜はバスターミナル付近の宿に泊まるっていうのを、、、
 トルファン、ハミと繰り返した。



●2002/8/15~2002/9/1:敦煌

 このあたりまでくれば道も良いのですんなり敦煌到着。

 久しぶりの隋さんの店で飲んだくれる。
 あぁ敦煌はホッとするなぁ。

 翌日早速、鶏湯麺屋に行きウイグル土産を渡すと、、、
 今日から麺修行を開始するとのこと。

 8:30に麺店に出勤。
 15:00~18:00まで休憩なので、隋さんの店で昼ビール。
 18:00~21:00まで麺屋勤務。
 仕事終わってから隋さんの店で一杯。
 という生活を1週間続ける。

 店が暇な時間におばちゃんが麺打ちを教えてくれる。
 俺も嫁もなんとかマスターできた。
 おばちゃん一家とも仲良くなり、田舎の中国人の生活を味わえた。
 (嫁は今でも麺打ちが出来るんで、たまに打って食べているのだ。)
 しかも、店の常連さんが日本人の弟子達(俺ら)を覚えてくれ、、、
 街に知り合いが多くなった。みんな良い人たちだ。

 修行後はビザの延長をして、敦煌のマニアックな観光地に行く。
 ゴビ砂漠の中の本当のオアシス、発掘途中の遺跡など。

 


 買いまくったウイグルナイフを、、、
 他の荷物に紛れ込ませ、、、コッソリ日本へ郵送する。。。



●2002/9/2~2002/9/18:⇒ゴルムド⇒ラサ

 麺屋と隋さんの店のみんなに別れを告げ、チベットに向けて旅立つ。
 寝台バスでゴルムド到着。

 ここはチベットへの玄関。
 ラサまでの車を探す。
 以前、外国人がチベットへ入る場合は専用のパーミットが必要だったが、
 今はいるとかいらないとか色んな噂が飛んでいてよくわからない。。。

 600元/人で乗り合いタクシーが見つかる。
 高いのか安いのかよくわからないがそれ以上は値切れなかった。
 そんなもんかと思って任せる。

 っで、、、この運ちゃんたちが最悪だった。。。やる気がない。。。
 最悪な運ちゃんとチベット鉄道の工事のために、、、
 荒れ果てた国道のダブルパンチでシンドイ道のり。。。
 途中、タング峠という標高5200mの峠付近では、、、
 俺を含め数人が高山病による頭痛に悩まされる。

 42時間もかかり、、、やっとラサに着く。
 道中の疲れと標高(ラサは3650m)に慣れるため、数日はのんびり過ごす。
 嫁はチベットの雰囲気が大のお気に入りに。
 “バルコル”“ポタラ宮”“ジョカン”“ノルブリンカ”などを観光。

 各地のチベタンがラサへ巡礼に来るので、、、
 ジョカン周辺でボーっとしてるだけでも楽しい。

 


 次はネパールを目指すんで大使館でビザを取得。

 嫁の親父さんからメールが来ていて、、、
 この旅の目的地の一つマダガスカルが、、、
 政情不安で外務省から注意喚起が出たとのこと。
 マダガスカル行きは諦めるしかないのか。

 そうなるとだいぶルートを変える必要が出てくる。
 バンコクあたりでゆっくり相談することに。

 ラサからネパールへ抜けるバス便は無い。
 しかし、、、ラサのホテルには掲示板があって、、、
 そこでツアーや車のチャーターの人数を集めたりしている。
 個人旅行者が集まって車をチャーターしようというのだ。
 その一つに参加してみる。
 俺らのほかに日本人二人が集まる。



●2002/9/18~2002/9/20:シガツェ⇒ダム

 明け方の3時にヤクホテル前に集合。
 運ちゃんが30分遅刻。でも、何とか出発。
 AM9:00頃シガツェに着く。
 
 当初は1日でダムまで行く予定だったが、ここで運ちゃんと揉める。。。
 運ちゃんが約束の金額ではダムまで行かないと言い出した。。。
 外国人をなめきったボッタクリ。まぁよくあることだけど。。。
 癪にさわったんでこの運ちゃんとはオサラバして、、、
 新たにこの街で車を探すことにした。

 シガツェはあんまり大きな街じゃないけど、、、
 宿や旅行会社は一通り揃っている。
 四人で宿にチェックインした後、旅行会社に車のチャーターの交渉に行く。

 何とか良心的な旅行会社を見つけることができ、、、
 公安でパーミットも取り直せた。ふぅ。。。
 四人とも、ビザの期限が押し迫っていたのだ。ホッと一息だ。
 みんなでシガツェを観光する。

 翌朝6:00出発。
 途中で車が故障したりしたが確実に前には進む。

 


 ラクパラ峠で止まって記念撮影をしていると、、、

 


 遊牧民たちがやってきてちょっと交流。
 ってか、、、標高5000m以上の所で生活してるんだぁ。
 なんかすげぇ。。。

 そしてネパールに近づくにつれてエベレストが見えてきた。
 おお。カッコ良いねぇ。富士山とはまた違うカッコ良さ。 

 ダムに着いたのは翌AM1:00だったが、、、
 道中が楽しかったんで満足。
 国境越えは明るくなってから。
 とりあえず、宿で仮眠する。



●2002/9/20~2002/9/30:カトマンドゥー

 カトマンドゥーまでは車のチャーターになりそうなので、、、
 そのまま四人で行動する。

 朝9時に国境へ出発。
 途中でみんなで朝飯食って出国。
 出国したはいいがネパール側のイミグレーションは10キロ先。
 乗り合いタクシーでネパール側へ。無事にネパール入国。

 ここからは、また四人でタクシーチャーター。
 昼過ぎにカトマンドゥー着。

 ふぅやっとだねぇ。
 今日はそれぞれゆっくりして、、、
 明日の夜にラサから一緒に行動してきた四人で安着宴会をすることにした。
 三日ぶりの風呂でさっぱり。

 ゆっくりダラダラし、、、
 翌日、四人で日本料理屋で乾杯。
 ここで二人とはお別れ。

 ちょっと寂しくなったねぇ、なんて嫁と言っていたら、、、
 カトマンドゥーの真ん中で偶然、、、
 以前、剣御前小屋で一緒に働いたシェルパに出会う。

 


 おっお~~~っ!!
 お互いに最初は声が出ないほどビックリ。
 っで、、、再会を祝して食事へ。
 彼はノルウェーに出稼ぎに行っていた帰りで、、、
 地元の村(ナムチェ)に帰る前にカトマンドゥーをブラブラしていたとのこと。
 おお。ホントに超偶然でしたなぁ。

 翌日から街を案内してくれることに。 
 なのに、俺は高熱出してダウン。。。
 幻覚が見えるほどの高熱だった。。。三日三晩寝込む。。。
 その間はセルキ(シェルパの友達)に任して嫁を観光に連れて行ってもらう。

 


 何とか熱が引いてから嫁に聞いてみると、、、
 タクシー代からお茶、飯代まですべてセルキが出してくれたとのこと。
 も、申し訳ないっす。。。

 カトマンドゥーを発つ数日前ぐらいには
 動けるようになったんでセルキをお礼の食事に招待する。
 明日はやっと三人で遊べると思ったら、今度は嫁がダウン。。
 俺だけ観光に連れて行ってもらう。
 迷惑ばかりかけてしまったなぁ。
 セルキ、ホントに色々とありがとう。





後編に続く。。。




  


Posted by 工場長 at 10:03Comments(4)海外旅行記

2009年05月19日

海外旅行の記録② 2002~2003年版 前編



さっさと転記して、、、

山ブログに戻ろうと思っているんですが、、、

修正したりなんだりで結構、、、時間がかかります。。。

なんとか今週中には終わらせたいなぁ。。。


ってことで、、、第二弾です。

今の嫁さんと結婚前に行った長期旅行です。

一年という長期のため三回に分けますデス。

それでも、、、一回が長いっす。。。すんません。。。


また、、、興味があればって感じで。。。





■期間:2002/3/4~2003/2/22

■使った金:約80万円/人

■行った国
 中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ラオス、ミャンマー、マレーシア、台湾

■その他:彼女(今の嫁)と二人で。なるべく飛行機を使わない。

■ルート
 (中国) 上海⇒武漢⇒成都⇒昆明⇒景洪⇒大理⇒中甸⇒麗江⇒昆明⇒
 (ベトナム) ハノイ⇒フエ⇒ホイアン⇒サイゴン⇒
 (カンボジア) プノンペン⇒シェムリアップ⇒
 (タイ) バンコク⇒【飛行機】⇒
 (中国) 香港⇒鄭州⇒洛陽⇒西安⇒平遥⇒北京⇒大同⇒呼和浩特⇒銀川⇒
  武威⇒張掖⇒嘉峪関⇒敦煌⇒
 (ウイグル) ハミ⇒トルファン⇒コルラ⇒クチャ⇒カシュガル⇒ホータン⇒
  チャルチャン⇒チャルクリク⇒コルラ⇒トルファン⇒ハミ⇒
 (中国) 敦煌⇒ゴルムド⇒
 (チベット) ラサ⇒シガツェ⇒ダム⇒
 (ネパール) カトマンドゥー⇒【飛行機】⇒
 (タイ) バンコク⇒
 (ラオス) ビエンチャン⇒ヴァンヴィエン⇒ルアンパバーン⇒
 (タイ) チェーンコーン⇒チェーンセーン⇒メーサロン⇒チェンマイ⇒
  スコータイ⇒アユタヤ⇒バンコク⇒【飛行機】⇒
 (ミャンマー) ヤンゴン⇒ピイ⇒バガン⇒マンダレー⇒カロー⇒ニャウンシュエ⇒
  バゴー⇒ヤンゴン⇒【飛行機】⇒
 (タイ) バンコク⇒チャン島⇒バンコク⇒スンガイコーロク⇒
 (マレーシア) コタバル⇒クアラルンプール⇒
 (タイ) バンコク⇒【飛行機】⇒
 (台湾) 台中⇒高雄⇒台東⇒花蓮⇒台北






●出発前

 今まで貯金なんて無縁の生活を送ってきた俺が、、、
 前回の旅行後から一年数ヶ月というもの酒も飲まずに貯金。
 目的があれば貯金も出来るものだ。

 帰国後に付き合い始めた彼女(今の嫁さん。以降“嫁”)は、、、
 高校生の時から海外一人旅を繰り返しているという。
 んで、、、嫁も丁度、一年連続で旅行をするために親を説得し、
 大学を休学したところ。
 となると、、、一緒に行きますかね。

 旅行ルートを練ったり、準備に1ヵ月ぐらいかける。
 一年間という長期なんで、、、
 金も日本円、米ドル、TC(トラベラーズチェック)、
 国際キャッシュカードなどに分ける。

 当初の予定はアジア9ヶ月、マダガスカル1ヶ月、南米2ヶ月。
 どぉなるか。



●2002/3/5~2002/3/11:⇒上海

 前回と同様に船“新鑑真号”で上海を目指す。

 低気圧にガッツリぶつかられ、船は大揺れ。
 嫁、、、船酔いで半死。。。
 けど、定刻通り上海到着。

 嫁は旅慣れているとはいっても中国は初めて。
 しかも中国は世界有数の個人旅行をしにくい国。
 しばらくは嫁の様子見で行く。

 しょっぱなの銀行で人民から横入りの洗礼を受け嫁激怒。
 しかし、食事は非常に気に入る。
 俺は上海は三回目なのでコレといって見たいところない。
 嫁の案内に徹する。



●2002/3/12~2002/3/21:⇒武漢⇒成都

 寝台列車(硬臥)で武漢に到着。

 ここも2回目なんで嫁を案内。
 嫁も湖南料理を気に入る。 

 また寝台列車(硬臥)で成都へ。
 ここも俺は案内人。

 とりあえず前半は、嫁の中国慣れと、、、
 雲南省から列車でベトナムに入ることが目的なので、しばらくは案内人。

 成都でのお目当ては武候祠、四川料理、パンダ。
 三国志を解説しながら武候祠をまわるが、、、
 女の人はあんまり興味ないんだよねぇ。。。聞き流される。。。

 動物園ではパンダがウジャウジャいるって聞いてたのに、、、
 2匹しかいなかった。。。嫁、、、半ギレ。。。



●2002/3/22~2002/3/29:⇒昆明⇒景洪

 寝台列車(硬臥)で雲南入り。
 昆明からベトナムのハノイに国際列車が出ているので、その情報を得る。

 雲南省は少数民族の宝庫。
 一ヵ月間、少数民族の街をまわり、4月末にベトナムに出発の予定。

 まずはタイ族の街、景洪へ。
 バスでおっかない山道を抜け抜け18時間かかり到着。
 ここまで南下すると亜熱帯に入り蒸し暑い。

 少数民族&民族衣装大好きの嫁はテンションが上がる。
 地元の市場、郊外の村等を観光。



●2002/3/30~2002/4/6:⇒大理

 でぇきれぇな寝台バスで大理を目指す。
 検問やら悪路やらで25時間もかかる。
 雲南は中国の中でも開発が遅れている地域なうえに、、、
 山岳地帯なんで、、、長距離の移動は大変。

 移動の疲れをイカサマ日本食で癒す。
 前回の旅で店員と仲良くなったハッピーカフェはもう無かった。残念。。。

 近場の村、沙坪の市場に行く。
 民族衣装バリバリの人の群れ。
 嫁のテンション急上昇。
 民族衣装を購入し、、、何故かそれを着て買い物に夢中。
 俺は荷物持ち。。。

 嫁が着ている民族衣装が、、、
 「お年寄り用」だったらしく、、、地元のぺー族大笑い。
 笑われてはいるんだけど、、、
 ぺー族は明るく気が良く笑顔も最高なんで悪い気はしない。
 ずっと笑われていることにする。

 毎日「菊屋」というイカサマ日本料理屋で食事を取る。
 充分にノンビリし、ビザの延長も行う。



●2002/4/6~2002/4/11:中甸

 次はチベット族の街、中甸を目指す。またバスで。

 大理も標高が約1700mあるが、、、中甸は3200m以上。
 昼の日向は日差しがキツくて暑いが、夜は氷点下で凍える。

 


 街にはチベタンがあふれている。しかも、民族衣装で。
 大柄な人が多く、日焼けしていて精悍。
 そこでやっぱり、、、嫁のテンション急上昇。
 また民族衣装を買いやがる。。。

 しかも、俺も大柄で顔もチベタンぽいっていう理由から
 俺の分も買わされる。。。えぇぇ。。。

 だけど、試しに俺が民族衣装を着て街を歩いていても、
 地元の人間だと思うのか、誰も不審がらない。
 っていうか、、、馴染んでるじゃん。。。俺。。。

 “松賛林寺”などを観光する。

 


 ここは松茸の産地なんで松茸料理を頼んでみる。
 すると、、、ソーセージと一緒に炒められて出てきた。。。
 なんか、、、もったいないっす。。。



●2002/4/11~2002/4/18:麗江

 バスで麗江へ。ここはナシ族の街。
 古い街並みが今も残っていて、世界文化遺産に登録されている。

 

 


 いくら歩いても飽きない。
 また、嫁が民族衣装を購入。
 もう、、、止まらないのね。。。

 


 ここも大理と一緒で、のんびりブラブラが楽しい街。
 毎日、歩いて過ごす。



●2002/4/18~2002/4/26:昆明

 バスで昆明へ戻る。
 一週間後のハノイ行き国際列車のチケットを買う。

 時間があるんで、、、
 かなりの量になった嫁のお土産(民族衣装)を
 日本に郵送したり、写真を現像に出したりする。

 それでも、時間は有り余っていたんで「現地発着ツアー」に行きまくる。
 「現地発着ツアー」とは現地にある旅行会社が主催しているツアー。

 外国人向けではないので、、、
 国内観光をしている中国人に混ざって観光を楽しむ。
 だいたい、ガイド(中国語)、昼食、入場券、バス代込みでお得。
 でも、、、かなりハードだけど。。。
 それを利用し“石林”“九郷”などに行く。



●2002/4/27~2002/5/2:⇒ハノイ

 26日の夕方に国際列車に乗り込む。
 車内で日本人のおじさんバックパッカーと知り合い、一緒に夕飯を食べる。

 明けて27日の朝、国境に着き車内で出入国の手続きを行う。
 ベトナムのビザは日本で取っておいた。

 そして、、、ベトナムに入ると、、、
 役人が回ってきて乗客から一人2ドルづつ徴収していく。
 みんな当たり前のように払っているんで、、、
 俺らも知り合ったおじさんも払う。
 けど、払った後で隣の中国人商人に聞いたら、、、
 「あんなもん払う必要ねぇよ。ただのボッタクリ。やられたな。」
 くそっ、制服パワーに騙された。。。

 ハノイ到着は午後8時過ぎ。
 何とか、宿と夕飯にありつく。

 ハノイでは博物館に行ったり、名物の水上人形劇を見たりする。

 


 飯も居心地も悪くないんだけど、
 あらゆる所でちょくちょくボッタクる。。。
 しかも、最高の笑顔で。。。微妙にストレスが溜まる。。。



●2002/5/3~2002/5/11:⇒フエ⇒ホイアン

 この国では電車もあるけど中国以上にチケットが買いづらい。
 なので、旅行会社と外国人相手のホテルが共同で長距離バスを運行している。
 それを利用してフエを目指す。夜行バス。

 フエはベトナムの阮王朝の首都だったところで、、、
 城壁や遺跡等がたくさんある。
 しかし、ちょうどお祭りの真っ盛りらしく
 ホテルの空きが無い上に、値段が普段の1.5倍。。。

 まぁ何とか宿が見つかる。
 が、この宿の従業員が最悪。
 毎日毎日、、、部屋の値段が変わる。。。同じ部屋なのに。。。

 しっかり観光は済ませたが、、、
 宿も腹立つわ飯屋でボラレるわで、ベトナム人に対して不信感が増す。
 お土産屋でボルってことはたいていの国であるけど
 飯屋や安宿ではこの国が初めて。
 一つ一つの行動が、、、なんだか落ち着かない。。。

 とりあえず、見るものは見ようとバスでホイアンへ。
 ここは江戸時代に日本人街があった所で古い街並みも残っている。
 近くには世界文化遺産ミーソン遺跡もある。
 遺跡も街並みも悪くなかった。

 しかし、ここでも色々あり、、、
 二人とも完全にベトナム嫌いになってしまった。。。



●2002/5/12~2002/5/14:⇒サイゴン

 「さっさとベトナムなんか出ようぜぇ。。。」
 を合言葉にサイゴン目指す。

 観光もする気をなくしているので、、、
 カンボジアのビザをさっさと申請して、、、
 プノンペン行きのバスチケットを買う。。。



●2002/5/14~2002/5/19:プノンペン

 朝8時、バスっていうかワンボックスでサイゴン出発。
 昼ごろ国境に着き、歩いて出入国を済ます。

 カンボジア入国後、車を乗り換え再び出発。
 道が悪くなる。

 途中、フェリーに乗ったりして、午後8時頃にやっとプノンペン到着。
 宿もすんなり決まり、ホッと一息。
 中央市場、博物館などをまわる。

 ベトナムで溜まったストレスを解消するためにノンビリする。
 酒好きの日本人お姉さんに出会い、、、三人で飲んだくれた。



●2002/5/19~2002/5/23:シェムリアップ

 旅行会社のバスでシェムリアップへ。

 あまり安全ではないルートなので緊張していたが、夕方に無事到着。
 アンコールワットで有名な観光地なので宿も多くすぐ落ち着く。

 宿での夕食中、その宿所属のバイクタクシーのお兄ちゃんたちが、、、
 アンコールワット周辺三日間ツアーを売り込んでくる。
 値段も手ごろでお兄ちゃんたちも感じが良かったから彼らに頼むことにする。

 バイク二台に分乗し
 アンコールワット、アンコールトム、タ・プローム、タ・ケオ
 バンデアスレイ、クバールスピアン、トンレサップ湖周遊。
 すんげぇ盛り沢山なツアーで遺跡好きの俺は大満足。

 

 

 

 

 


 でも、、、かなりシンドかった。。。
 最後にアンコールワットに沈む夕日を見に、、、
 連れてってくれると言うんだけど疲れて断ってしまった。。。

 毎日、朝から晩まで付き合ってくれた、兄ちゃんたちに感謝。



●2002/5/23~2002/5/31:バンコク⇒香港

 早朝、タイのバンコクに向けて出発。
 悪路の中を地獄のピックアップトラック(トラックの荷台。。。)
 で5時間かけ国境へ。

 出入国を済まして、タイ側のきれいなバスに乗り換え、
 完全舗装の良い道でバンコク目指す。

 国の裕福さって言うのはこういうところに如実に出てくる。

 夕方にバンコク着。
 久々の大都会にちょいとだけホッとする。

 俺はタイ初めて。嫁は2回目。案内役交代。
 市内を案内してもらったり、必要な物資を買い物したり、
 久々の日本食を食べたりする。

 プノンペンで共に飲んだくれたお姉さんに再会し、、、
 やっぱり飲んだくれる。

 この後は飛行機で香港に飛び、長期ビザを取って
 再び中国入りする予定なので、香港行きの片道チケットを探す。

 なんとか安いのが見つかる。
 出国時に片道チケットのことをちょっぴり突っ込まれたが無事に香港着。
 香港で3ヶ月ビザと鄭州までの国際列車のチケットを購入。
 物価が高いのでさっさと中国入国。





中編に続く。。。



  


Posted by 工場長 at 15:16Comments(6)海外旅行記

2009年05月18日

海外旅行の記録① 2000年版



二十代の時に海外をフラフラしておりました。


その時の簡単な記録を、、、

以前、メインにしていたサイトに書いていたので転記してきました。


デジカメを持っていなかった時代のモノなので、、、

スキャナで取り込んだ、、、少しの画像しかありましぇん。。。


山の話じゃない上に長いです。。。すんません。。。

興味があればって感じで。。。



(全部で3,4回の記事になると思います。)



■期間:2000/8/22~2000/11/20

■使った金:約30万円

■行った国:中国

■その他:1人旅。陸路と海路のみの旅。

■ルート
 上海⇒洛陽⇒西安⇒成都⇒蘭州⇒敦煌⇒蘭州⇒呼和浩特⇒北京⇒長沙⇒
 広州⇒香港⇒広州⇒襄樊⇒宜城⇒武漢⇒昆明⇒大理⇒昆明⇒長沙⇒上海






●出発前

 なんだかイヤなことが立て続きやがったから、、、
 プラっと行ってみたかった中国にでも行こうかなぁ。
 っていうのが動機だった気がする。

 仕事を辞め、金が無かったんで、愛車のV-MAXを売り、、、
 その金を全部持って出発する。

 もちろん、中国語なんかできず、英語もままならない。
 っていうか、、、海外旅行が始めてなんですけど。。。



●2000/8/22~2000/8/24:船中

 当初の目的はオーソドックスだけど、、、
 三国志や小説敦煌(井上靖)にちなんだ場所めぐり。

 時間は腐るほどあるんで、中国へは船で行くことにした。
 神戸から上海へ運航している“新鑑真号”という船に乗る。
 片道二万円、往復三万円(二等船室)というざっくばらんな値段設定。
 上海までは二泊三日の長旅。

 これに乗る人は旅の達人が多いと聞いたので、、、
 なるべくいろんな人に話しかけて、情報収集をした。

 船員も中国人ばっかりでもう中国を旅行している気分だった。



●2000/8/24~2000/8/26:上海

 上海到着。

 


 船内で仲良くなった人たちと同じホテルのドミトリールーム(大人数部屋)に泊まる。
 浦江飯店だったと思う。
 初海外なんで、何もかも珍しくて、言葉が通じないことも楽しい。
 毎日、同じ部屋の人たちと遅くまでワイワイ酒を飲み、昼ごろ起きる。

 楽しいんだけど、、、
 こんなんじゃ日本で友達の家にいるのとかわらないねぇ。。。。
 以後はドミトリーは無しにしよう。

 みんなとわかれて、洛陽へ旅立つ。
 ここからは一人だ、、、って思うと緊張感が出てくる。



●2000/8/27~2000/8/31:⇒洛陽

 車中一泊の寝台列車(硬臥)で洛陽に着く。

 ここは前漢等の首都だった。旧都の趣きあり(今はどぉだか。。。)。

 ここに来た目的は“関林廟”。
 三国志の関羽を祀っていて、関羽の首塚がある。
 ってことで、、、関帝廟、博物館などをめぐる。

 


 徐々に異国慣れしてきたけど、まだ、飯屋に入る時なんかは緊張する。
 ここまでの中国の印象は「飯が旨い」「中国人がパワフル」ってとこ。

 そして、想像以上(というかまったく)英語は通じない。
 まぁ、、、俺自身たいしてしゃべれないけどね。。。



●2000/8/31~2000/9/5:西安

 列車(軟座)で西安へ。
 洛陽に比べると街もでかくて活気に溢れている。

 ここも古都。遺跡がたっぷり。
 “兵馬俑”なんぞを見に行った。鳥肌モノだった。
 その他、寺めぐり、城壁歩き、博物館などに行く。

 


 この街の見所は無限。
 キリが無いので、次の目的地、成都を目指す。



●2000/9/6~2000/9/8:⇒成都

 また、寝台列車(硬臥)に乗る。
 これがなんだか良く眠れる。
 日本では不眠症気味だったのに、中国ではひたすら快眠。

 成都は三国時代の蜀の首都。
 ここでは“武候祠”に行く。
 武候祠は諸葛孔明を祀ってい、さらに劉備の墓がある。

 


 なにより、、、四川料理がとても俺の口に合う。
 麻婆豆腐発祥の店で麻婆豆腐を食す。
 四川省、、、気に入ったぞ。



●2000/9/9~2000/9/17:⇒蘭州⇒敦煌

 敦煌を目指す。すんげぇ遠い。。。
 まずは西の入口である蘭州まで寝台列車(硬臥)で行く。
 ここで休息と交通情報の収集をする。

 列車は本数が少なくてチケットが手に入りずらい。
 その上、最寄り駅(柳園)から敦煌市街までは100キロも離れている。

 なので、、、寝台バスっていう変なシロモノを使うことにした。
 これがね。。。ヒドかった。。。今でもあんのかなぁ。。。
 バスの中の座席を取っ払って二段ベットを敷き詰めた感じ。
 こんなこと良く考えたな。寝てるしかない。
 しかも、、、せまいベットにおっさんと二人で寝る。。。
 さらに、、、おっさんの足がくさい。。。

 その上、この時期は国道の工事をやっていて、道が悪く、寝てるのも辛かった。。。
 11日の午前11時に蘭州を出発して、敦煌着は12日の午後11時だった。
 もう、、、半死。。。
 けど、、、来てみたかった街なんでテンション上がりまくり。

 この街で、今でも親友である■野と出会う。
 この男、日本人のくせに中国語と英語がネイティヴレベル。
 妙にに気が合う、、、■野と一緒に敦煌を観光する。
 “莫高窟”“玉門関”“漢代長城”“鳴沙山”などなど観光しまくった。
 最高に楽しい。遠かったけど、来て良かった。

 

 

 


 一応、この旅の最終目的地はここだったんだけど、、、
 思っていたより楽しいんで、方向転換、、、
 「金が尽きるまで中国を旅する。」ってことにした。
 ってことで、、、ここでビザ延長。



●2000/9/18~2000/9/24:⇒蘭州⇒呼和浩特

 また、寝台バスで蘭州に戻る。
 蘭州からは寝台列車(硬臥)で内モンゴルの呼和浩特(フフホト)へ。

 寺、博物館などをめぐる。
 ここでの記憶は旨い餃子屋を発見して毎晩、餃子(水餃子)三昧だったこと。

 中国って、日本と一緒で米ばっかり食べているんだろう、、、
 と思っていたけど、実は違った。
 黄河からは北は小麦文化、南は米文化って感じかな。
 勿論、ドコでも米は食べられるけど、小麦文化圏での麺、餃子は絶品。
 米派の俺が小麦にハマる。



●2000/9/25~2000/9/29:⇒北京

 寝台列車(硬臥)で北京に到着。
 首都だけあって街が多少は清潔。少々物価が高い。

 “万里長城”“故宮”博物館めぐりなどをした。

 


 故宮で知り合った日本人大学生と一緒に、北京ダック発祥の店
 “全聚徳”に北京ダックを食べに行く。
 まぁ、、、それなりって感じかな。
 北京ではちょっと金を使いすぎた。。。



●2000/9/30~2000/10/9:⇒長沙

 このままだとビザが切れてしまう。もう、延長はできない。
 一旦、香港に出てビザを取り直したほうが良さそうだ。
 とりあえず、南下する。

 寝台列車(硬臥)で長沙へ。
 無事に到着するも、なんだか街が騒がしい。
 そして、宿がどこも一杯。
 どうなっているんだろうと思っていたら、
 中国で旧正月の次に大きな休みである国慶節(建国記念日)だった。
 一週間ほどはゴタゴタするらしい。。。
 何とか、宿が見つかる。

 この宿の人たち、日本人を見るのが始めてらしい。
 こんなに大きな街なのに。。。
 みんなにしげしげと見られる。。。

 夕飯を宿の食堂で取る。
 その時もみんな遠目で俺を観察。。。
 なんか、、、居心地が悪い。。。
 思い切って、筆談で話しかける。
 ここぞとばかりに質問攻めにあう。
 っで、、、仲良くなった。

 

 


 仲良くなるとホントに親切にしてくれる。毎晩、食堂で宴会。
 楽しいんで国慶節が明けるまではここにいることにした。
 時間もたくさんあるんで、地元マップを買ってきて、
 小さな観光スポットをしらみつぶしに行ってみた。



●2000/10/10~2000/10/15:⇒広州⇒香港⇒広州

 宿のみんなとさよならをして、寝台列車(硬臥)で広州へ。
 広州では特に見たいものが無かったんで、すぐ香港へ行く。

 う~ん、、、香港は日本とかわらん。
 物価も高い。。。つまらん。。。

 3ヶ月ビザを取得して、広州に戻る。



●2000/10/16~2000/10/29:⇒襄樊⇒宜城⇒武漢

 広州に戻ったが、宿泊はせず、すぐに駅に行く。
 次の目的地は襄樊。
 結構距離があるんだけど、寝台チケットは売り切れで買えず。
 悪名高い自由席(硬座)で行くことにする。

 すんげぇ人。。。
 俺はまだ席があるからいいが、席が無い人たちが通路まであふれている。
 座席も名前どおり硬い。。。一睡もできず。。。

 疲れきって、、、襄樊に到着。 

 


 ここには劉備が孔明に三顧の礼をした“古隆中”という孔明の庵跡がある。
 行ってみる。ちょいと感動。

 襄樊から一時間ぐらいのところに、、、
 長沙の宿で仲良くなった従業員の故郷、宜城がある。
 行ってみるとなにも無い田舎町。

 尋ねて行ったら休暇で帰ってきていた。
 夕食をご馳走してくれ、何故か徹マンに誘われる。
 日本のマージャンとルールが違う。
 チョイ勝ち。
 なんか、、、中国人にマージャン勝つと、、、うれしい。。。

 その後はバスで武漢に向かう。



●2000/10/31~2000/11/10:⇒昆明⇒大理

 行きの船で仲良くなった日本人が、、、
 大理に2,3ヶ月滞在するから雲南来る時は寄ってくれ、、、
 と言っていたのを思いだし、次の目的地を大理にした。

 武漢から雲南の玄関である昆明まで一気に寝台列車(硬臥)で行く。
 車中2泊。遠い。

 早朝に昆明着。駅前のバスターミナルから
 大理行きのバスに乗る。夕方前に大理着。

 ここはバックパッカーの溜まり場みたいになっている街。
 ペー族という少数民族が人口の大半を占める。

 


 自分の宿を決め、友達が泊まっているであろうホテルを訪ねる。
 いない。。。
 あきらめて飯を食べに行ったら、その食堂でそいつに出くわす。
 「お~久しぶりっ!!」から始まり、酒盛り。
 そいつは今日、昆明に戻るとのこと。
 会えて良かったねぇ。お見送りをする。 

 ここは外国人旅行者向けの洋食、日本食屋がたくさんある。
 日々の観光もたのしいが、イカサマ和食を食べるのもまた楽しい。

 


 ハッピーカフェ(もう無くなっちゃった。。。)
 という食堂の女の子達と仲良くなり、毎日通う。
 ノンビリする。



●2000/11/10~2000/11/20:⇒昆明⇒長沙⇒上海

 金も尽きてきた。
 さらに、弟が12月の初めに結婚式を挙げるとのメールが親から来る。
 んじゃ、、、帰国しますか。

 大理からバスで昆明、
 昆明からまた車中2泊の寝台列車(硬臥)で長沙に向かう。
 長沙では先月泊まった宿に行く。
 1ヵ月しか経ってないのに従業員が半分近く替わっている。

 先月撮った写真を現像したので、、、みんなに配る。
 先月から居た人達はとっても喜んでくれた。

 長沙から寝台列車(硬臥)で上海へ。
 うーん、久しぶり。

 そして、、、また“新鑑真号”で帰国した。










  


Posted by 工場長 at 16:32Comments(4)海外旅行記
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