私は北アには数えるほどしか行っていない。
先週末に行った槍ヶ岳を入れても五回ほどの山行だ。
しかし、上記の山行を除いた、、、
北アでの滞在日数は2ヶ月近くになる。
って言うのは、、、
今から9年ほど前の夏、北アの山小屋で働いた経験があるからだ。
北アに行くとその時のことを思い出す。
そんな思い出をダラダラ書く。
当時は山に全く興味がなく、、、
ただの“住込みのバイト”って感じで出かけた。
そして、2ヶ月経って山から下りても、、、
山に対する興味は全然変わらなかった。
むしろ、どちらかと言うと、、、
2ヶ月間で出会った登山者たちのマナーの無さに辟易し、、、
山登りをする人間に対する不信感のようなものが増したほどだった。
『山なんて一生登らねぇよ。ケッ!!』
山小屋での生活はどぉだった??
そう聞かれた時の私の答えはそんな感じだった気がする。
そんな人間が、、、
今はすっかり山狂いなのだから面白いものだ。
山に興味が無いのに、、、
何故、山小屋で働いたのか??
それは、単に当時の彼女(今の嫁さん)に誘われたからだった。
かと言って、、、
嫁が山ガールだったわけではない。
エジプトへ個人旅行に行っていた時に、
バイトをすることになった山小屋の管理人さん夫婦に出会い、
数日、行動を共にしたそうだ。
そこで気が合い“夏になったらバイトに来ないか??”と誘われたらしい。
んで、男手も足りないからと、嫁伝いで私に声がかかった。
当時は私も嫁も、、、
海外をフラフラするための金を貯めていたので、、、
住み込みならば給料が安くてもそれなりに貯まるだろう、、、
そんなことを考えて小屋で働くことにしたのだった。
ちなみに日給は4000円ぐらいだった記憶がある。
そんなこんなで、、、
何とな~く小屋で働くことになったのだが、、、
山に登った経験は、幼稚園の時に祖父に連れられた高尾山ぐらい。
全くの素人だ。
っていうか、興味も無いので素人以下だな。
働き始めの日、、、
「登山口に着いたら小屋までの道順を教えるから電話して下さい。」
管理人さんの奥様からそう言われていた。
電話してみると、、、
「温泉を抜けてちょっと行くとハイマツが出てきます。
そこに分岐があるので小屋方面に行って下さい。そこからは一本道だから。」
と、おっしゃる。
“ハイマツ”ってなんだ??
そう。
ハイマツも知らなかったのだ。
“枯れて灰色になった松の木”を探しながら歩いた。
が、ハイマツは実際見てしまえば納得。
『ああ~~~。這っている松かぁ~~~。』
なんて、妙に感心したのを憶えている。
無事に小屋に着いた。
小屋での日々は、、、
忙しく重労働だったが、仕事仲間に恵まれて楽しかった。
しかも、私は元兵隊なので集団生活にも慣れていたし。
天気のイイ休日になると、、、
200人近くの宿泊があったので、、、
朝の3時過ぎから、夜9時ぐらいまで、となかなかの長時間労働。
時給にすると300円そこそこだろう。
それでも笑いながら働いていた気がする。
管理人さんの好意で少し離れた小屋に泊りに行ったりもした。
仕事仲間でワイワイと。
そういえば、この時だったな。
嫁はコンバースのオールスター(しかも布のヤツ)で来ていたので、、、
雪渓で滑落しそうになったんだ。
それ以来、雪渓と聞くと恐怖の対象らしい。
1ヶ月ほど小屋で働いた後は、、、
近くの野営管理所からお声がかかったので、そちらで働くことにした。
仕事は小屋に比べると全然ラク。
しかも、こちらでも仕事仲間に恵まれたので楽しく過ごした。
管理所の隣には、、、
県警の山岳救助隊の方々が詰めていたので、よく一緒に酒を飲んだ。
みんな気さくで気の良い人たちばかりだったな。
そういえば、、、
ちょっとだけ怖い経験をしたことがある。
夜、前に働いていた小屋で急病人が出た。
そこで、管理所に来てくれていたお医者さんと二人で、夜道を小屋に向かった。
まぁ、私は荷物持ちといったところか。
ヘッデンを点けて歩いたのだが、、、
夜の山を歩くことなんて初めてであった。
ヘンなルートを歩きなんとか小屋を往復したのだが、、、
翌日、そのルートを見てみると、すぐそばが崖であった。
危なく滑落するところだった。
小屋で1ヶ月、管理所で1ヶ月。
7月に山に入って2ヶ月が過ぎた。
山はすっかり秋の雰囲気を出していた。
下山後は嫁と各地をフラフラしながら帰った。
せっかく貯めた金も暴食で結構減っていたっけな。
この時の経験が今の登山に役立っている、、、
かと言えば、、、特にそんなことはない。
しかし、、、
山を始めようと思ったときに、、、
この時の風景の数々が頭に浮かんだのは言うまでもない。