倉沢の廃村跡 10/10/31

工場長

2010年10月31日 17:53



奥多摩駅から日原の集落に向かう日原街道。



その日原街道から山道を20分ほど歩くと廃村がある。



いや。

正確には“あった”だ。

今はもう建物の類はすべて取り壊されてしまっているらしい。



しかし、、、

山の中にある廃墟や生活の残滓のようなものが、

私はどぉにも好きであるので、いつか行ってみようと思っていた。





台風が抜けても、天気が悪い日曜日。

山を普通に登っても楽しみは少ない。

っていうか、ヤル気が出ないというのが本音か。



こんな時ぐらいしか、、、

倉沢の廃村跡に行く機会はないだろう。

廃村跡を見たあとはキノコの修行でもすればいい。



そんなコトを思いながら、、、

小雨降る奥多摩に車を走らせた。





倉沢へ行くのは簡単だ。

廃村跡の手前には東京都指定の天然記念物“倉沢のヒノキ”がある。



その取り付きが日原トンネルの手前にある。








この看板の前に2台ほど駐車出来るスペースがある。






奥多摩に入ったぐらいから小雨が降っていた。

しかし、森の中は濡れないだろうと思い雨具は着て行かなかった。





取り付きは少々心許ない。








けれど、5分も歩くと整備された登山道になる。






ノンビリとキノコを物色しながら歩く。



意外に暑い。

すぐに汗をかいてしまった。





少し平坦になってきたな。








そんなコトを感じたすぐ後に桧の巨木が現れた。










むう。

デカイな。



都会っ子だからだろうか、

小さい時は大きな木が恐ろしくてしょうがなかった。

いや。自分だけかな。



今ではそんなことは無い。

山に慣れたものだなぁと思う。





巨木から道は二手に分かれた。

とりあえずは道がシッカリしている右から行ってみようか。





5分も歩くと、、、

そんなに屋根が古くない家が見えてきた。






あれ!?

すべて取り壊されたと聞いたけどな。



もしかして、、、

新しく人が住み始めたのだろうか??





しかし、、、

近づくと空き家であることが分った。






結構、最近まで、、、

おじいさんが一人住んでいたらしい。

その方の住まいだったのかも知れないな。





さて。

見上げると、そこはもう廃村跡だ。










今、廃墟の類は残っていない。

しかしながら、生活の残滓は残っている。










小雨が降る中、、、

一人で廃村の跡を歩き回る。



別に私が豪胆なわけではない。



この廃村は、、、

血腥い事件が起こったりだとか、、、

暗い出来事が原因で廃村になったわけではないのだ。





少し倉沢集落の説明をしよう。



元々は炭焼きを生業とした山村集落だった。

その後、この地に奥多摩工業日原鉱業所に通う方々の社宅が次々に建つ。

最盛期には200人以上の人々が住んでいたとのこと。

共同浴場、売店、床屋、劇場まであったらしい。



しかし、、、

昭和33年、日原に社宅が出来て、

徐々にそちらに移り住んでいき、

昭和40年代には無人となった、とのことだ。





建物は取り壊されてしまっているが、、、

基礎、階段、手すりなどはそのまま残っている。










上の写真を見てもらえば分るが、雛壇状に家々の基礎が残る。



なんでも、、、

段々畑だった所に社宅を建てて行ったらしい。



今日は下から入ったので、、、

階段を登りながら廃村跡を見て行く。














どん詰まりまで上がると一つだけ建物が見えた。





もう階段はないので斜面を上がる。








中を覗くと大きな貯水槽のようだ。








この上は植林地。






廃村跡も終わりだ。





と、ちょうど雨足も強くなってきた。

帰ろうか。





ゆっくりと廃村跡を出る。












その後、1時間ほどキノコを観察して車まで戻った。






帰り道に一組だけに出会う。

廃村を巡るに相応しい、ひっそりとした時間だった。





山歩きとは言い難いが、

たまにはこんなのも悪くない。





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